Ⅷ.災害時等の病院管理


新型コロナウイルス感染症の発生と対応

感染症が世界的に大流行し「新常態(ニューノーマル)」が訪れるのであろうことは誰の目にも明らかになりつつあります。2020年2月11日国際保健機構WHOは、2019年から中国の武漢で発生した重症な非定型性肺炎の世界的規模の集団発生を“COVID-19”と正式に命名しました。WHOは、疾患の名称について特定の地名や国、固有名詞をする場合には、それが差別や批判的な表現となるようなことがないよう注意喚起しています。実際に、オーストラリアにコロナという姓の男の子が、友達からイジメにあい、それを知ったハリウッドスターがコロナ社製のタイプライターを送り励ましたという美談が世界のトップ・ニュースになったことを、ご存じの方も多いと思います。

人の目にはみえないもので、変異を繰り返し、正体がよくわからない。おまけに感染力が強く、治療法も確定できず、重症化すると死亡することが多いウイルスによる感染のパンデミック(世界的大流行)の始まりです。東京オリンピック2020が開催されている21年8月現在、世界の感染者は約2億人、感染による死亡者は420万人を超えていますし、ワクチンは普及するようになりましたが、いつまで効果が持続するのか確証がなく、世界中で医療崩壊の危機に瀕しています。大変な災害で、被害は世界大戦と比較されるほどの規模です。

あまり日本では注目されませんでしたが、20年3月18日、WHOは、「COVID-19のアウト・ブレーク:この文書では、労働安全衛生を保護するために必要な具体的な措置を含め、医療従事者の権利と責任を強調する」(Coronavirus disease (COVID-19) outbreak: rights,roles and responsibilities of health workers, including key considerations for occupational safety and health)という文章を公表しました。その内容は以下の通りです。

「医療従事者は、COVID-19のアウトブレイク対応の最前線におり、病原体による感染のリスクに曝されている。リスクには、病原体への曝露、長時間労働、精神的苦痛、疲労、業務による燃え尽き、スティグマ、肉体的および心理的暴力などがある。本文書では、労働安全衛生を保護するために必要な具体的対策を含めた医療従事者の権利と責任について明らかにする。」

 本書冒頭で「病院管理とは、医療サービスを提供する病院のヒト・モノ・カネ・情報をどのように運営管理すればよいのか、あるいはどのようにすれば円滑に機能できるのかという活動の総体と考えられています」と書きましたが、パンデミック時のみではありませんが、災害時には病院職員の安全を確保することが病院管理では最重要です。

 ゲーム理論で意思決定判断の基準としてマキシミン・ルールというのがあります。不確実の状況や無知のベールにおおわれている状態では、選択されうる戦略のそれぞれの場合について、最悪の場合の利得を考え、これが最大となる戦略を選択するというものです。より単純化すれば、不確実な状況では、予想される最悪な事態を避けることを合理的とする考え方です。

例えば、今回のパンデミックでは、罹患する人間を最小限にするという選択が考えられますが、感染が避けられないのであれば、感染による死亡者の実数を最小限にするという、悲観的な戦略が必要になります。最悪何百万人が死亡するかもしれないと予想されれば、その人数をどこまで減らせるかということになります。別の言い方をすれば、医療崩壊しないぎりぎりの死亡者に抑える戦略で、最悪のケースから考えれば、一番ましなものを選ぶということにもなります。

避けることのできない現実で、逃げ切ることが無理なら、医療崩壊しないように可能な限り患者さんの命を守るために対応しようとするのが、病院職員の使命なのです。

VUCA時代の対応

アフガニスタン戦争で国際治安支援部隊(ISAF)司令官およびアフガン駐留軍司令官を務めたスタンリー・アレン・マクリスタルという米陸軍退役大将がいます。特殊部隊出身者で超ストイック、徴兵制復活論者です。米国の男優ブラッド・ピットが主演した2017年の映画「ウォー・マシーン」のモデルとして知られています。

2014年の「不安定で不確実で複雑で曖昧な社会でわれわれに何を要請するか」と題する講演で、世界で生き残るためには「予測できるという傲慢さを捨てる」「組織的な適合性を高める」「共有化されて意識と権限委譲による実行」が不可欠だと主張しまた。その上で適用力を高めるには「ビジョンの設定」「動機づけと育成」そして「決断すること」という3つの役割を担い、それぞれが必要なスキルを高めなければならないと述べたのです。

この講演内容は「米陸軍遺産教育センター」に登録されていますし、アルカイダやタリバンとの戦いの体験から軍事関係者にはよく知られているらしいのです。感染症のパンデミックが宣言されてから、この講演内容が再評価され政治や外交、経済や経営の分野でも再注目されたり、引用されたりしています。

ものごとの状況が把握できている場合もありますが、全く把握できないこともあります。

世界の感染状況について把握できているのかできていないのかわからないこともあります。地球温暖化も線状降水帯も予測が難しく、専制主義とか権威主義陣営対民主主義陣営の対立がどのようになるか予測できるわけではありません。

もう一方で、行動の結果を予測できる場合も予測できない場合もあります。ワクチンの効果はある程度分析されていますが、打てばいつまで効果があるのかどうかはわかりません。化石燃料を使用しなくなれば温暖化は食い止められるかもしれませんが、そのことが経済とか社会とか人々の暮らしにどのような影響を与えるのかはわかりません。ましてや、これから先の世界がどのような結果になるのかは皆目見当がつきません。

マクリスタルが講演で指摘した「不安定で不確実で複雑で曖昧な社会」は米軍の造語でVolatile,Uncertain,Complex,Ambiguousという形容詞の頭文字をとってVUCA(米国流の発音では「ブカ」ときこえます)と呼ばれてきました。2016年の世界経済フォーラム(ダボス会議)でVUCAワールドとして使われたことで一躍有名になりましたが、名詞化され変動性、不確実性、複雑性、曖昧性と表記されることも多くなりました。流行に敏感なビジネス界では、講演やセミナー、リポートや書籍で使用されています。

図表2-4  VUCAのフレームワーク(By H.koyama)

注;VUCAを図解したものは各種ありますが、最大公約数的見解を図示してみたものです。

なお、ビジネス界のトレンドとして元米空軍ボイド大佐(1927-97)より提唱されて意思決定と行動に関する軍事戦略理論としてのOODA LOOPも人気があります。ボイドのウーダループは、トップガンの世界の意思決定方法であり、世界中の戦略・戦術書を読破し、孫氏の兵法、宮本武蔵の五輪からもヒントをえるなどし、彼自身の調査は第2次世界大戦当時の旧ドイツ軍将兵に対するインタビューから、ドイツの電撃戦の研究を進めたそうです。

OODAループに関しては1989年に、米国の有名な経営コンサルタント、トム・ピーターズによってビジネス界に紹介されたそうです。彼はボイドの主張する機動性こそが「競争優位」の源泉だと評価したとのことです。以上は、最近のビジネス界の関心がどのようなものなのかを知る手掛かりになるし、VUCA時代にどうすればいいのかという問題意識や対応のヒントが提示されています。

「不安定で不確実で複雑で曖昧な社会」で情報把握や効果予測といったことについて根本的に考え直す必要があると思います。また、判断に関することは「「予測できるという傲慢さを捨てる」状況で俊敏に決断する必要があります。

最近ビジネス界で話題になっているVUCAやOODA LOOPについては、いくら情報を集め考えてみても、結局、不安定で不確実で複雑で曖昧な未来なのだろうという悲観的気分ではなく「災い転じて福となすぞ」と意気込みも大切だと思います。ビジネスの世界は、それこそ「生き馬の目を抜く」がごとく、リアルと俊敏性が強調され、政治や行政より結果がわかりやすいといえると思います。

今、日本の政治や行政は明確なビジョン示すことができていないと思います。予想できなくても明確なビジョンを示せないで放置すると急激に求心力を失い、社会や世論はバラバラになり、収拾がつかなくなる危険性がありますので、病院や地域あるいは全国の人々が連帯することが必要です。

リスクとクライシスへの対応

 病院管理の世界でも、最近リスクマネジメントが重要だという主張がされることが多いように思いますが、このリスクというのは「予測可能」なものがほとんどで、一生で一度あるかどうかの危機は軽視されています。パンデミックは予想されていたことですが、実際に起こってしまった現実にたいして対応に成功できた国はほとんどありません。これに対してクライシスは想定外で、警告はされていたとしても「予測不可能」だと考えられています。飛行機は墜落するリスクがありますが、実際に墜落すればクライシスです。

 この両者の間には、予測可能か不可能かという区別のほかに、どう考えても確率の差があるように思います。10年に1回か、10%以上起こる可能性があれば完全にリスクなのでしょうが、90年に一度とか、1%以下ということになると、もはやリスクだと認識されていないことになります。ヒトは誰でもいつか死にますのでリスクではありませんが、傷病は明らかにリスクなのです。

「予測できるという傲慢さを捨てる」という主張は理解できますが、予測できないことを前提に物事を進め生きていくのは相当の覚悟が必要です。にもかかわらず予定通りに事が進まないことに苛立ちを感じ、我慢できずにパニックを引き寄せることもあります。

考えてみれば、ある程度予想できるから計画でき実行できるわけです。もし、予想できなのであれば散漫な計画になるか計画立案自体が困難となってしまいます。何が起こるのか全く想像できないとしても、日々の暮らしは続きますし経済活動が停止することにはなりません。こうなると予算に基づいた実績をモニタリングする予実管理の方法論を根本的に再検討せざるを得ない状況に追い込まれます。

リスクを前提に組織の計画を立案する場合、多くの予測に基づいていますが、これから先は予測できないことでも計画しておかなければならないという時代になるのではないでしょうか。経営計画などの場合、単価と数量が基本になりますが、そのどちらかも4年先のことを予測できない時代に突入したと言い換えても同じことです。こうなると単価も数量も上限と下限の幅を広く設定することになりますが、投資とか回収とかを考えると病院事業自体がリスクだと考えざるをえないのかもしれません。

計画を立て実行することは当然であり、結果は多少のバリアンスが生じても概ね予想した範囲に落ち着くのが当たり前だという感覚で生きているということに改めて気づくことがあります。

不確実な計画を立案するより明確なビジョンを設定することが先で、有事に対応できる組織づくりに注力し、決断できるリーダーシップが求められるのではないのか、というのがとりあえずの結論です。思いつくのは容易ですが、それを実現するのは相当の努力と協力が必要です。今、ここでビジョンを画けるキーパーソンが求められのが、ニューノーマル時代なのではないでしょうか?

実はクライシスは確かにリスクの一部かも知れませんが、リスクとクライシスでは、対応方法も手法も明らかに違います。クライシスが正常化するまでのマネジメントは、これまでの手順も手法も通用しないことが多いと、経験上言い伝えられています。100年に1回とかのクライシスが起きれば、これまでの知識、体験、準備、計画、組織、連絡方法、指揮命令系統が機能不全になる。何よりも情報収集力そして判断力とか即応力、実行力が結果を左右することになります。

以下は、財)日本再建イニシアティブ,日本最悪のシナリオ 9つの死角,新潮社,288頁からの引用ですが、リスク・コミュニケーションとは「リスクに関するコンセンサス共有が目的で、リスクの評価や管理施策、リスクを巡る見解などを伝達する」ことを意味し、特徴としては、「平時、中長期的、継続的、双方向的」だと指摘されています。他方、クライシス・コミュニケーションとは「パニックを避け、適切な行動を知らせるのが目的で、危機についての情報、行動指針、指示を伝達する」ことで、「非常時、短期、即時、一方的なことが多い」と指摘されています。

起きている事態をリスクと認識するかクライシスと判断するかは、決定的な差があります。ボヤなのか大火災になるのか、単なる喧嘩なのか戦争なのか、集中豪雨なのか土砂災害や大洪水の危機があるかの判断の差は、決定的な被害の差になります。

アジリティな人材とレジリエンス

レジリエンスという言葉をみかけることが多くなりました。その意味は復元力、弾力性、再起性、回復力のことだと思います。もともとは、物理学で元の状態に戻る力のことだそうですが、最近では困難な環境や状況に対してしなやかに適応して生き延びて行く力として心理学で使われているとのことです。

また、企業や行政などの組織論、社会システム論においてもリスク対応能力、危機管理能力として使用されることも多くなりました。政治や行政の世界では「国土強靭化」などがあり英語表記としてナショナル・レジリエンスとしています。政府の公式見解では「防災・減災の取組みは、国家のリスクマネジメントであり、強くてしなやかな国をつくることです」「日本の産業競争力の強化であり、安全・安心な生活づくりであり、それを実現する人の力を創ることです」と説明しています。

「レジリエンス復元力」という本では「あらゆる物事が望ましくない状況から脱し、安定的な状態を取り戻すかを表す言葉として盛んに用いられるようになった」と書かれていますが、震災や台風、集中豪雨に土砂崩れそしてパンデミックやテロは災害ですので回復力が問われます。災害に合えばだれでも救いを求めますので、まず救命、生命維持、生活確保を経て復旧過程に入ります。20年前の米国同時多発テロや14年前のリーマンショックも災害ととらえることもできますので、復元力も回復力も大切で有事に対応できるシステムを準備する必要もあります。

 感染症拡大も第4波になりましたが、いくら対策を実施していても常にクラスター発生の危機に瀕していますし、実際に発生した施設でも再発生の危険があります。正直、長期間の緊張状態は思考停止になるほどのストレスです。

 クラスター発生時は一時的に大混乱になります。スタッフの多くが濃厚接触者と判断されると14日間の自宅待機ということになるのが混乱を更に広げます。転院を引き受けていただける病院はほとんどなく自院で対応する以外ない状況に追い込まれた病院も少なくありません。

ただ、クラスターを体験して収束させた組織には言い方が悪いのですが「火事場の馬鹿力」を発揮した職員が必ずいます。通常は、あまり目立たない比較的大人しい人が、突然、変貌し、クラスター収束後は職員間の団結力やチームワークが向上したいう感覚があるようです。

 もともと「人の役に立ちたい」と考えて医療の世界に飛び込んだわけですので、他者が本当に困り果てた状況で真価を発揮するのは当然だとも言えます。全てのスタッフが打たれ強くストレス耐性が高いわけではありません。ただ「患者さんのため」という使命感が高く、そのために積極的に行動しているのだと思います。

 このような人材を確保するためには、どうすれば良いのでしょうか?これに対しては正解があるわけではありませんが、この本で述べてきたリアリティーとアジリティーが高い人材を教育研修しようという病院の人的資源管理の基本的姿勢が重要だと思います。列挙すればつぎのような人材です。

  • 問題を注意深く調べて、事実に基づき新たなつながりを見出すことができる。
  • 自分自身の能力と立場をよく理解して、状況の変化に対応できる。
  • モチベーションを維持したまま、事態に対処して結果をだことができる。
  • メンバーと話し合いつつ、すべての人々にビジョンを浸透させることができる。
  • 職員の現状と能力をよく見極めて納得できる計画を立てることができる。
  • 現場ではある程度、対象者の裁量に任せて経験を積み重ねていくことができる。
  • 相手の立場に立ったコミュニケーションとフィードバックができる。
  • 職員の育成とサポートする体制を業務遂行時に組み入れることができる。

2011年の東日本大震災、さらには2020年の新型コロナウイルスの感染拡大などはいずれも、多くの病院に強力な組織レジリエンスの必要性を痛感させました。組織レジリエンスの強い病院ほどダメージからスピーディーに回復、再起し、さらに強靭な組織へと生まれ変わることができているように思います。

VUCA時代と言われているだけに、今後も想定外の事態がいつ起こるかは分かりませんが、病院の事業継続計画(BCP:Business Continuity Plan)や院内感染マニュアルを定期的に見直し、病院レジリエンスの強化が一層求められています。

【参考】

1.チェット・リチャーズ,原田勉訳「OODA LOOP(ウーダループ)次世代の最強組織に進化する意思決定スキル」東洋経済新報社,2019。

なお、VUCAやOODA LOOPについては情報が氾濫気味ですが、独断と偏見では、つぎの3冊を順番に読み進めると、最近の企業経営の課題が理解できるのではないかと思います。

2.田中靖浩「米軍式 人を動かすマネジメント」日本経済新聞社,2016。

3.入江仁之「すぐ決まる組織の作り方」フォレスト出版,2018。

4.平鍋賢治・野中郁次郎・及部敬雄「アジャイル開発スクラム第2版」翔泳,2021。

5.財)日本再建イニシアティブ,日本最悪のシナリオ 9つの死角,新潮社,2013。

6.ゾッリとヒーリー,須川綾子訳「レジリエンス復元力」ダイヤモンド社,2013。