Ⅱ.医学の歴史と 近代的病院の誕生


 医学の歴史

 人類の歴史は、飢餓と病と戦争のそれでした。別の表現をすれば、有史以来今日まで人類は各種伝染病に脅かされ、飢えに苦しみ、懲りることなく戦争を続けてきた歴史を織りなしてきました。傷や病に対して手当てする行為は、もっぱら医学という学問の普及により医行為を行う者という社会的存在を生み出すことになりました。それゆえ、医学の起源を、遠く古代の四大文明に求めることもできるでしょう。ただし、医学が知識として体系化され始めたのは、例えば紀元1世紀ごろに完成したといわれている中国の医書『黄帝内経』に求めることも、あるいは紀元前460年に生まれた「医学の祖」ヒポクラテスに求めることもできます。

 5世紀から16世紀ごろまでの長い中世の医学は、アラビア半島を中心とするイスラム教社会で発展し医学研究の組織化が進み医師の教育が進みましたが、ヨーロッパではキリスト教の影響が強く、医術は「人間の神への奉仕」という考え方が定着していきました。その一方では、解剖禁止令が出されたりすることで、むしろ医学の停滞期であったとも、いわれています。また、中国やインドの医術・医学は、独自の体系化が進み、多くの医書が編纂され、医師が医行為を行う専門職業として地位を確立していきました。

 西洋医学の確立は、中世の大学創設と関連があります。古くは、1158年にイタリアのボローニャにヨーロッパ最古の大学ができ、1200年にはパリ大学で医学の研究と医師の養成が進められることになりました。一方で、7世紀ごろからヨーロッパ各地の領主が散発的に「ホスピタル」を建設し始めました。日本語では「ホスピタル」に「病院」の語をあてますが、歴史的にみれば、ホスピタルはかならずしも病人だけの施設ではありません。旅人に無料または定額で宿泊場所を提供したり、孤児、孤老、障碍者を収容する施設であることが多く、それらはいずれも慈善施設でした。11世紀から13世紀にかけての十字軍と並行して、教皇がヨーロッパ各地にホスピタル建設を奨励したとされていますが、建物が現存しているものは僅かです。

 また、イングランド王ヘンリー8世は、自身の離婚と再婚がローマ教皇庁に認められないこともあり、1534年に「国王至上法(首長令)」を発布し、イングランド教会(日本では聖公会と呼ばれる)を設立しました。王は各地のカソリック教会を国教会に改組し、教会の財産を国家管理へと移し、修道院を廃止しました。しかし、教会は教区税の徴収権限や寄付金などにより維持され、収入の3分の1は教会の維持費に、3分の1は聖職者の生活費に、残り3分の1を乞食や病人、障碍者や孤児などの貧民救済に費やすようになりました。一方で、廃止した修道院を貧民救済のための施設、救貧院として改修しました。娘のエリザベス1世は、このような貧民救済策を1572年から救貧法という名称で制定し、1601年にエリザベス救貧法として再編しました。イングランド各地にできた救貧院が、その後の英国の覇権により英国連邦国家の病院の原型とし普及していったのです。

 15世紀半ばから大航海時代が始まると世界で各種技術革新が起こります。それは、航海術や造船術の飛躍的発展、気象学や天文学といった自然現象の解明、簿記や信用取引、投資と荷役保険の発展などといった新しいビジネスを生み出すことになりました。その一方で、交易により風土病的感染症の世界的感染爆発や、長期間の航海で船員の壊血病による死亡という事態を招きました。壊血病は、柑橘類の摂取により軽減されることが知られるようになりましたが、その原因は、解明されていませんでした。明治維新以降に、日本帝国海軍が艦内の脚気に苦しんだことはよく知られた話です。食物の摂取と病気の相関関係があることは経験則として知られていましたが、壊血病、脚気、ペラグラ病、くる病(それぞれビタミンC,B₁,B₃,Dの欠乏症)の原因解明は、1921年に生化学者のカシミール・フンク(1884-1967)が「ビタミン」となづけることから、順次科学的に解明されていきました。

 病院の歴史

 英国の経済学者で社会政策・管理論(Social Administration)の権威ブライアン・アベル-スミス(Braian Abel-Smith1,1926-1996)の名著The Hospitals 1800-1948,A Study in Social Administration in England and Wales,1964.(多田羅浩三・大和田健太郎訳『英国の病院と医療1800-1948』保健同人社,1984)の冒頭でつぎのように書かれています。

 「病院が病院の治療に重要な役割を果たすようになったのは、わずかにここ百年のことである。多くの病院が18世紀になって開院されたが、1800年の入院患者は約3千人にすぎなかった。国勢調査で病院の項目が初めて加えられた1815年ですら、その入院患者は7,619人にとどまった」(中略)「金持ちも貧乏人も効果的な医療を受けることはできず、むしろ家庭で有り合わせの療法ですませておいたほうが無難であった。病院では院内感染の恐れが、つねに付きまとい、さほど悪くない患者が入院後、致命的な病気に感染することもあった。」

 物語としての病院の歴史として、病気やケガの治療の場として清潔で安全な近代的病院が誕生するのは、実は20世紀になってからのことであることを、あらかじめ理解する必要があります。英国を中心に1760年から1830年までに起こった一連の産業の変革と、それにともなう社会構造変化を総称して「産業革命」と呼んでいますが、この期間に医療も発展を遂げ、1830年代には、外科手術が行われることになり、病院における近代的組織医療が始まりました。ただし、1875年ごろまでは手術中の感染による死亡率が高く、アベル-スミスが指摘するように、病院は安全な場所ではありませんでした。しかし、一方で人の歴史は、ハンセン病、マラリヤ、天然痘、黒死病(ペスト)、梅毒、結核、そして新型インフルエンザの7大伝染病によって綴られてきたにもかかわらず、感染症に対する公衆衛生も疫学調査も細菌もワクチンも1850年代以降しかできなかったのです。

 大昔ヒポクラテスは、病気は「悪土地、悪い水、悪い空気」などから発生する「瘴気(miasma)」を吸うことにより起こると考えていました。このような考え方は、なんと19世紀中葉の英国でも信じられていたのです。実際、1834年救貧法調査委員会の調査報告書を担当、その後衛生状態調査も担当し1848年の公衆衛生法を立案したエドウィン・チャドィック(EdwinChdwick1800-1890)は、この瘴気説を根拠に、下水道や都市衛生環境の整備を訴えました。また、同じく貧民の調査から衛生状態の改善が必要としたジョン・スノー(John Snow1813-1856)は、ロンドンのソーホー地区でのコレラ発生(死亡616人)で、瘴気説ではなく、徹底的な現地調査により汚れた共同井戸水に未知の毒のようなものがいるのでないかと考え、汚れた井戸水の使用を禁止し、疫学と上下水道改善の必要性を主張しました。人類史上細菌の発見は、フランスのLouis Pasteur(1822-1895)やプロイセンのRobert Koch (1843-1910)の1880年代になってからです。それまでの何世紀の間、人が集まる都市は感染症におびえ、病院は絶えず対処方法がわからない院内感染との戦いを余儀なくされてきた歴史なのです。

 進化論で知られるチャ―ルズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin,1809-82)は、1850年に「麻酔は、もっとも偉大にして、もっとも恵み深い発見である」といったと伝えられています。硝酸アンモニウムを180~250℃に加熱分解してえられる一酸化二窒素は、笑気(laughing gas)ともよばれ、1790年代から知られ、祭りや縁日で売られていたそうです。これを1844年以降麻酔に利用するウィリアム・モートン(1819-68)ら歯科医が現れました。彼は1846年にボストンでエーテル麻酔効果を示しました。このニュースは、大西洋を越え半年以内に世界中に麻酔法が拡散されたそうですが、科学的原理を理解している医師は少なかったようです。同時期の1847年にエジンバラのジェイムズ・ヤング・シンプソン(1811-70)は、クロロホルムが麻酔の性質を持っていることを発見し、急速に麻酔法は普及し外科手術が発展しました。前述のジョン・スノウは、麻酔の程度は血液中のエーテル濃度により決まり、それが体温に依存することを明らかにし、エタノールとクロロホルム投与量を実証しました。しかし、20世紀になりバルビツレートの静脈注射法が開発されるまで、麻酔による死亡事故は2,500件に1件程度起こったといわれており、それまで全身麻酔は決して安全ではありませんでした。

 病院の世紀

 今日からみれば、外科治療にとって麻酔法とともに輸血法と抗生物質の発見が、近代病院医療の発展に不可欠でした。1901年にオーストリア・ハンガリーの病理学者、血清学者であるカール・ランドシュナイダー(1868-1943)がABO式血液型を発見しました。これにより輸血は必ずしも危険な手法ではなくなったのです。また、1928年、ロンドンのSアレクサンダー・フレミング(1881-1955)が「魔法の薬」ペニシリンを発見しました。実用化は、1942年ハワード・フロリー(1898-1968)らオクスフォードの研究チームが努力し、米国のファイザーやメルクが商品化したことにより、医療は飛躍的に発展しました。

 なお、「1935年前後に外科医と助手たちのチームが殺菌消毒した手術着を着て、ゴム手袋マスクをつけて、高度に限定的で規則正しく動き、隔離されて明るく照らされた手術室で仕事をするようになった」W&H.Bynum,Great Discoveries in Medicine,London,2001.(鈴木晃仁・鈴木実佳訳『Medicine-医学を変えた70の発見』医学書院、2012.p226)のです。

 このように手術道具を滅菌し院内感染の発生を予防した上で、麻酔法や輸血あるいは抗生物質の発見がなされるようになったことが、今日の病院の基礎となっていることを再確認することが必要です。したがって、今日的病院の形態は、最長でも100年しかたっていないし、近代的手法としての病院管理についても、せいぜい50年程度の歴史しかありません。別の言い方をすれば20世紀は「病院の世紀」となったのです。

【参考】以下では、特に、現在、購入可能な書籍のみを例示しておきます。

1.鈴木晃仁・鈴木実佳訳『Medicine-医学を変えた70の発見』医学書院,2012。

2.梶田昭『医学の歴史』講談社学術文庫,講談社,2003。

3.W.H.マクニール,佐々木昭夫訳『疫病と世界史』(上)(下),中公文庫,中央公論新社,2007。

4.スティーブン・R・バウン, 中村哲也監修・小林政子訳『壊血病 医学の謎に挑んだ男たち』三松堂,2014。

5.ヘレナ・アトレー, 三木直子訳『柑橘類と文明:マフィアを生んだシチリアレモンから、ノーベル賞をとった壊血病薬まで』築地書館,2015。

6.坂井達夫『図説 医学の歴史』医学書院,2019。

7.J.トールヴァルト,小川道雄『外科医の世紀 近代医学のあけぼの』へるす出版,2007。

8.S.ヘルペル,杉森裕樹ほか訳『新装版 異学探偵ジョン・スノウ』大修館書店,2021。

9.家本誠一『中国古代医学体系 漢方・鍼灸の源流』清風社,2017。