Ⅵ.病院のガバナンス


 コーポレートガバナンス(corporate governance)とは、企業の経営を律する枠組みのことで、単にガバナンスとか「企業統治」とも呼ばれています。病院であれば病院ガバナンスと呼ぶべきでしょう。一般にこれは、株主などが経営者の不正を監視することで、企業の不祥事を未然に防ぐことができるとされています。例えば、証券取引所では、コーポレートガバナンスを有効に機能させることが、企業価値を継続的に高めていくことであるという考えから、上場会社に対して「コーポレートガバナンス報告書」の提出を義務付けています。なお、コーポレートガバナンス報告書は、資本構成や経営管理組織の形態、内部統制システムなどにより構成されます。世界の企業および企業活動による不正はいとまがありませんが、日本の病院は株式を公開出来ませんので、株の売買に関する内部情報の漏洩事件は基本的に存在しません。それゆえ、病院のガバナンスに関する注意喚起が頻繁に行われることはありません。ただし、病院の医療事故に関しては詳細に報道される傾向があり、医療事故や事件が契機となり継続できなくなった病院は少なくありません。以下では、病院の内部統制システムの基本的な対応から、医療安全対策そして医療の質の管理という観点から、病院のガバナンスについて述べてみたいと思います。

 病院の職場規律

 何を今さらと思うかもしれませんが、病院管理の最も基本的基礎的な管理は出退勤(勤怠)管理です。職員の無断欠勤、遅刻、早退、超過勤務、出張、外勤、代休、有給休暇などは、基礎的でもありますが、最近の在宅勤務、ホーム・オフィス、Webで対応できない病院の大半の業務では、これが重要です。専門性が優先され、組織単位が細分化されている病院内の規律を維持し、勤労意欲を低下させないないだけでも、大変な労力が必要です。コンプライアンスの確保だとかモチベーションの維持などといえば、少しは柔らかいいい方になるのかもしれませんが、管理者の仕事は勤怠管理に始まり、これができない管理者は業務を放棄していると判断され、懲戒の対象になります。このことを繰り返し周知徹底することが、必要不可欠です。最先端の経営理論を鵜吞みにして、組織を崩壊させてしまうことすら現実にありますので、まず、基本的管理に注力することが求められます。

 高学歴者が率先して模範を示すことが求められますが、出退勤に関しては高学歴者ほど軽視する傾向があります。基本的なことが守れない理由として、共に働くマナーに関する教育の不徹底があるように思えてなりません。医師は確かに高学歴者ですが、遅刻などありえないことで朝早くから出勤し精力的に診療業務を進め、何よりも患者さんにやさしく、スタッフにもやさしく、後輩の教育にも熱心という医師は沢山いますが、これを当たり前と考えてはいけません。また、医師以外でもどのようにみても勘違いしているとしか考えられない医療従事者もいますので、最低限の出勤退勤に関する基本的なルールが守れない場合、病院のガバナンスを維持することができなくなることを繰り返し周知徹底することが必要です。

 同じようなことに、これまた最低限の挨拶と5S運動があります。整理、整頓、清掃、清潔、しつけなどと標語を張ってもどうにもならないし、何が気に食わないのか朝の挨拶すらしない職員がいると、病院内の士気が落ちます。全て勘違いしているに過ぎないとは思いますが、それが許されるからそうしているだけの場合が多いのです。病院管理の改善をしたければ、「1に挨拶、2に勤怠、3に5S」です。ここさえ崩れなければ、ここさえできれば何とかしようがある場合が少なくありません。

つぎに、「病院の職場規律が確保できない20の要因」を示したいと思います。これについては読んで字のごとくですので、各病院でアレンジして使用してください。

病院の職場規律が確保できない20の要因  (by Hideo Koyama 2000)

《病院・管理職側の10悪要因》

●医師不足・看護師不足で病院側が必要な注意や指導を避ける姿勢がある

●職場の服務規律は当たり前のことなので教える必要がないと考えている

●上記の空気が病院内を支配し、貴重な専門職の横暴があっても何もいえない

●その結果、明らかなルール違反があっても管理職が注意や指導をしていない

●違反が繰り返されても、病院として制裁処分をしていないで放置している

●たとえ注意はできても、どのように注意指導や教育すればよいかわからない

●病院職員の管理が現場の中間管理職に任せっぱなしで上層部が何もしない

●中間管理職が部下を指導する際、病院側からフォローやバックアップがない

●従業員の就業意識の変化や就業形態の多様化に病院が対応できていない

●従業員として守るべきルールや基準を病院が示さず定期的な教育もしない

《病院職員側の10悪要因》

●病院のルールやマナーそのものが示されてないので知らないし理解できない

●社会人としての一般的なルールやマナーに関する教育や訓練を受けていない

●忙しいと病院採用時研修、定期的あるいは不定期のあらゆる研修に参加しない

●職員の意識に甘えがあり、バレなければ文句は言われないと思い込んでいる

●自らの言動には何ら問題な点はないし、常に正しい言動を行っていると思う

●多少は問題だと意識しているが程度がひどくなければ許されると思っている

●周囲も同じような問題行動をとっているので、自分も構わないと考えている

●病院へ愛着心はなく、文句を言われるなら転職すればよいと思い込んでいる

●給与やポジションなどで病院に不満があり職務規律を守る必要性を感じない

●ズルしてもバレなければ何ともないので、何しろバレないようにズルする

 医療安全対策

 すでに述べたように病院の歴史は、病院を利用する人に新たな傷害や感染を引き侵さないようにすることです。したがって、どのような病院でも、今日の言葉でいう医療安全を最優先することが求められています。よく理解していない人がいるかもしれませんが、病院における医療事故が経営継続性を危機に陥れる場合があります。はっきりいえば、医療事故で病院はつぶれるのです。それゆえ、医療安全は病院経営より優先されるということになります。

 医療事故は、職員に注意喚起しても達成できません。そもそも、医療は人体に危害を与えることが前提となっています。誠に残念ながら、長年100%無事故を達成することはできません。開院以降20年以上経過している300床以上の急性期病院で、医療訴訟の事案を抱えたことが全くない病院は、むしろ稀です。医療事故を防止するには、まず基本的に教育研修が必要で、事後評価と反復訓練が必要です。院内の医療安全委員会が中心的に活動しますが、全病院で医療安全の枠組みも創り、それを見直しながら、反復継続して枠組みで病院全体を動かすようにします。

 医療安全には、膨大な知識も必要ですし、絶えず訓練する必要があり、ここまでやれば大丈夫という到達点がありません。また、ヒト、モノ、カネ、情報のすべてが必要ですので、専門的に対応する常設の組織も必要になります。感染を専門に教育を受けた看護師などの専門職員が必要な場合もありますので、中長期計画にも反映することも必要です。

 医療の質

 病院のガバナンスとして、医療の質の管理について、確認しておきたいと思います。何が「医療の質」かを正確にはいえないこともあります。前述の医療安全は医療の質の中心的な位置を締めます医療の質とはどのようなものなのかについて、確認しておきましょう。

 米国医師会(American Medical Association)は、シンプルに「生活の質の改善and/or生命の長さの管理に確実に貢献すること」と定義しています。

 米国立医療研究所(Institute of Medicine)は「個人および集団を対象とした医療サービスにより、健康に望ましい結果を導く可能性を高める度合いであり、かつ、それが最新の専門的知識と矛盾しない程度のもの」としています。

 医療の質について、世界中の医療従事者に支持されている「構造、過程、結果から測定する」ことを主張した学者ドナベディアン(Donaberian)は「医療の全過程で期待しうる損失とバランスの上でもたらされる患者の福利」と定義したのです。

 このほか「ヒポクラテスの誓い」から始まる医師の倫理綱領や、フローレンス・ナイチンゲール誓詞に始まる医療従事者の倫理綱領、各職能団体の倫理に関する規定、インフォームド・コンセントに関する患者の権利について、病院の従業員全員が知識として共有し、それを職員の行動原則にまで落とし込むことが大切です。

ドナベディアンは医療の質に関する、いわば分析枠組みを示したことにより日本でもよく知られています。ただし、医療をアウトカム(成果)で測定することについては、先進国で各種の取り組みが進められていますが、その方法論については未だ開発の余地があると国際的には評価されている現状にあると考えられます。

 さらに、病院の国際評価機構であるJCIと母体であるJCAH(その後のJCAHO)の生みの親でもあり、米国における医療の質を追求した外科医アーネスト・コドマン(Emest Amonry Codman,1869-1940)のことを紹介したいと思います。彼は、外科医で医療の品質改善の嚆矢であったと考えられています。国際的にも正当に評価されていますが、日本国内の「医療の質」議論では、あまり紹介されていません。

 米国における医療の品質改善の歴史は、コドマンが1915年に“End Rest concept”提唱したことから始まったと考えることができます。彼は外科医が手術をした患者さんが術後どのような経過をたどったのかという最終結果から外科手術の質を測定すべきだと主張しました。このようなことは、当時の医学界では受けいられることなく、彼は個人病院を開設と同時に1911年から16年まで手術し退院した337人の記録のすべてを公開し、そのうち123人には何らかの改善余地があったことを示しました。この公表に到る手順は、➀自分たちのした医療行為が本当に患者の役に立ったのかどうか最終結果(end result)を追跡調査する、②外科手術患者の退院後を1年間追跡し役に立たなかったとすればそれはなぜなのか失敗例も含めて診療記録を公開する、③公開した診療記録を参考に多くの外科医の診療の改善に役立てる、という一連のものでした。このことが嚆矢となり標準化や同僚審査の必要性、あるいは品質の構造評価や品質保証(QA)という考え方の基本が示されたと考えることができます。

 1918年に米国外科学会が創設され、診療の最低基準(Hospital Standardization Program=Minimumu Standard)を策定することを学会活動の重要な方針とすることになりました。

 1951年には、この米国外科学会、全米医師会などが協議体としての病院認定合同委員会であるJCAH(The Joint Commission on Accreditation of Hospitals)が設立され、一定の要件を満たしている病院を認定する作業を開始しました。53年には、構造基準や品質保証基準(Structure Criteria and Standards to Assure Quality)などを公表しました。1965年米国は高齢者と障碍者のための医療保険であるMedicareという制度を創設しました。それ以前から連邦単位の公的扶助による医療扶助制度であるMedicaidがありましたが、どこの医療機関でも受診可能にするかどうかが、制度上の問題として浮かび上がりました。各州がそれぞれ独立し、広大な国土に散在する病院に保険医療機関の許認可を与える統一的行政組織が米国には存在していなかったため、JCAHの認定を受けた病院をMedicareの保険医療機関として認定することにしました。

 1987年JCAHはJCAHO(The Joint Commission on Accreditation of Healthcare Organizationsへ)に改称し、戦略を転換することになりました。現在の名称はJCであり、世界中の医療機関認定を進めているのがJCIです。