杉山みち子編著「栄養ケア・マネジメントの実装」日本ヘルスケアテク社、の「おわりに」を再掲します。

おわりに

 本書は、4半世紀にわたる栄養ケア・マネジメントを実装する全過程を記録した歴史解説書ともいえます。「実装」という言葉は、インプリメンテーション(implementation)の訳語で、システムや機能を実現させるための具体的かつ科学的根拠にもとづいた装備や方法の総称と理解できます。実際に機能する頑強なシステムを構築するためには、根拠を示し、様々なトライ&エラーを繰り返し、原型を作り実装化のために改良を重ねる過程が必要です。振り返ればたやすいことであったかも知れませんが、開発過程では暗中模索、試行錯誤の繰り返しで、予定通りに進められることの方が少ないものです。
 イノベーションでは創造的破壊と新しい結合が重要視されますが、既得権益を破壊しないと新しい結合は生まれにくいわけです。そのため、新しい試みは、多くの場合、抵抗勢力からの批判にさらされます。現状維持が最高と考える人々は決して少なくありませんし、制度や仕組みをシステムと考えると、システム自体が動いている限り、システムを維持するために保守的であり続けるものだと考えることもできます。
 栄養ケア・マネジメントに関する研究は、平成7年度厚生労働省老人保健事業推進等補助金「高齢者の栄養管理サービスに関する研究」(主任研究者松田朗、分担研究者小山秀夫・杉山みち子)から始まりました。それは、ほんのわずかな研究費の配分を受けてはじめられたごく小規模のプロジェクトでした。
 この研究は、当時の厚生省の試験研究機関である国立医療・病院管理研究所(現在:国立保健医療科学院)の医療経済部において、医療・介護マネジメントと栄養学の2つの研究領域による共同研究が成立したからこそ、ケアを要する高齢者の低栄養の問題が明白となり、低栄養の解決のために個別の栄養ケアをマネジメントとしてシステム化することができました。当該医療経済部は、介護保険制度の創設に向けて要介護度判定のシステムを開発するという緊急かつ重要課題について、当時厚生省高齢者介護対策本部の三浦公嗣氏(前厚生労働省老健局局長、現日本健康・栄養システム学会代表理事)が担当者として、筒井孝子氏(現兵庫県立大学教授)、当時大学院生であった東野定律氏(現静岡県立大学教授)などにより昼夜兼行で取り組んでいました。この国立医療・病院管理研究所内のプロジェクトのマネジメントを担当したのが当時医療経済部長であった小山秀夫(兵庫県立大学名誉教授)です。
 その後、介護保険制度は平成12年に施行されますが、高齢者の栄養ケア・マネジメントは報酬化までには至りませんでした。そこで、栄養ケア・マネジメントは、まず、管理栄養士養成の新カリキュラムとして位置づけられて教育として全国的に進みます。
 この新カリキュラムの導入は、医療やケアチームの一翼を担える管理栄養士の全国的な育成をめざした画期的な教育改革でした。しかし、管理栄養士の養成は、農学や家政学を母体とする研究者による教育体制でしたから、栄養ケア・マネジメントを経験している実務家教員がいない、まして大学院教育を担える博士の学位をもつ実務家教員がいない、研究テーマは従来どおり食品分析や動物研究であって臨床研究がされない、学生は条件のよい食品関係の上場企業を選択する傾向もありました。結局のところ、いくつかの養成施設を除けば管理栄養士の養成の本質は革新されることなく長年継続してきたという側面を指摘できるかもしれません。
 このような状況において日本健康・栄養システム学会は、栄養ケア・マネジメントを担う臨床栄養師を育成するという目標を掲げて、米国の登録栄養士の教育制度のインターン研修900時間を取り入れた臨床栄養師制度を平成18年から開始しました。学会関連者による「決してあきらめない」という地道な努力によって、360名程度の臨床栄養師が医療・介護等や教育の分野で活躍するようになりました。これらの臨床栄養師には、大学院生やその修了生である若手教育者の管理栄養士が少しずつ増えています。
 一方、介護報酬における栄養ケア・マネジメントの関連加算は本書で説明しているように、「令和3年度介護報酬改定」や「令和2年度診療報酬」によって着実に深く広く医療介護サービスに浸透してきました。現在、中医協での「令和4年度診療報酬」に係る具体的な改定項目の内容が示されたところですが、栄養関係の早期栄養介入管理加算の見直し、周術期の栄養管理の推進等については、本学会の三浦代表理事のもとでの戦略的チームによる提案書が寄与しています。今日、介護や医療サービスにおいて大規模データが収集され、ICTを活用したネットワークの構築が推進されるなか、根拠に基づく報酬改定に関する議論は、今後ともエビデンスを積み重ね、さらに白熱したものとなるのでしょう。
 その一方で、ヒューマンサービスの根幹になる、人の尊厳を重視し、自己実現をめざした栄養ケア・マネジメントにおける「食べる楽しみ」のための支援の充実というスローガンは、今後も高く掲げられるべきです。また、大規模データからは把握されにくい栄養・食事に関わる問題、これらは常に実務の現場にこそあり、その問題に気づき客観的に掘り下げて見える化し、問題解決のためのシステムづくりや制度化に向けて真摯に取り組む調査研究チームを育成し、戦略的な継続した取り組みができる体制の必要性を常に確保することが必要です。
 本書は、介護・医療や障害福祉サービスに係る関連者や管理栄養士、その教育にあたる皆様に、お読み頂きたいと杉山みち子氏が全力を傾けて編集されたものですので、全体を通じでお読みいただけると栄養ケア・マネジメントの全体像が把握いただけると思います。もちろん、興味のあるところをお目通し頂くことにより、栄養に関するイシューがご理解いただけるのではないかと考えられます。
 健康や医療、介護や福祉の分野での制度実装は、きわめて広範な研究対象に対して経年的な調査や関連情報の収集、行政機関等の協力、そして病院などの医療機関、老人保健施設や特別養護老人ホームなどの介護保険施設や介護保険事業所の協力と共同作業が不可欠です。
 これらの協力と努力は、多くの場合、現場からの研究に対する支持と研究分析業務にあたる研究者の情熱によって形づくられるものです。もし、問題が存在することを見逃したり、原因を追究しなかったり、あるいは諸般の事情で改善に躊躇すれば、永遠に問題解決できない恐れが生じますので注意が必要です。この意味では、各現場は常に問題発見の場であり、調査研究は現場からの問題を調査研究し問題解決方法について検討を深める過程であり、教育研修は様々な知見を根拠とした科学技術体系の質の担保を担うものであると考えられます。
 また、管理栄養士のためには、付録として介護保険サービスにおける栄養ケア・マネジメントの手引書第3版と様式例を用いた事例(概要が本文参照)も掲載してあります。多くの方に是非ご活用頂き、ご意見をお寄せ頂ければ、改定第4版に反映させていただきたいと思います。
 最後に、日本健康・栄養システム学会員、同臨床栄養師及び事務局の皆様、厚生労働省栄養指導室清野富久江室長他関連の管理栄養士の皆様、長年にわたる研究事業の共同研究者の皆様に心よりの謝意を表します。

日本健康・栄養システム学会事務局長  小山秀夫 
(兵庫県立大学社会科学研究科経営専門職専攻特任教授)