COVID-19から考える感染症対策

■パンデミックとはなにか

 「パンデミック(Pandemic)」は、感染症の世界規模の大流行の状態を意味する言葉です。「世界的大流行」とか「感染爆発」と訳されることがありますが、医学あるいは公衆衛生学的には「Pandemic」と表記するのが一般的です。第一次世界大戦中の1918年に始まったインフルエンザによるパンデミックは、俗に「スペインかぜ」と呼ばれ、世界中で約5億人が感染し、死亡者数も正確な数字は分かっていませんが、全世界で少なくとも4000万人と言われています。古くはペスト、エイズ、コレラ、天然痘などの世界的大流行の状態もパンデミックと呼ばれました。

 感染症の流行は段階的に広がる傾向がありますが、最初に起こるのが「アウトブレイク(outbreak)」です。アウトブレイクとは、一定期間内に特定の地域や集団で、通常よりも高い頻度で感染が発生することです。院内感染による感染爆発もアウトブレイクとみなされ、「院内アウトブレイク」と呼ばれることもあります。

 教科書的にいえば、感染症については、①「エンデミック(Endemic)」、②「エピデミック(Epidemic)」、③「パンデミック(Pandemic)」━という順序で流行の範囲を言い表してきました。

 「Endemic」は、「地域流行。比較的狭い地域で起こっている病気、ウイルス、感染症」で、定期的にある地域で起こるような病気や風土病もこれに含む場合があります。一般的な言葉としては、地域の「固有種」「その地域特有の」という意味があります。

 「Epidemic」は、「流行病」と訳されてきました。感染症が最初に急増した地域からより広い地域に拡散した状態のことですが、現在では「予測困難な段階や特性、状態、広がり度合いなどによりWHOが判断」したものを指します。大規模な特定地域流行の場合もあるし、それほど死亡率が高くない世界的流行病もあります(ex.SARS,epidemic, WHO,2003.)。

 「Pandemic」は、現在では「感染症の世界規模の大流行とWHOが認めたもの」です。代表的なものは、インフルエンザですが、今注目すべきはCOVID-19、すなわち新型コロナウイルス感染症でしょう。

■COVID-19、コロナウイルスによる7番目の感染症

 国立感染症研究所のホームページには、新型コロナウイルス感染症がコロナウイルスによる7番目の感染症であるという説明があります。

 まずは、ヒトに日常的に感染する4種類のコロナウイルス(Human Coronavirus:HCoV)があり、5番目が「重症急性呼吸器症候群コロナウイルス(SARS-CoV)」になります。SARSは、2002年に中国広東省で発生し、同年11月から翌年7月の間に30超の国や地域に拡大し、2003年12月時点のWHOの報告によると、疑い例を含むSARS患者は8069人、うち775人が重症肺炎で死亡(致命率9.6%)とのことです。罹患者は中国5327人、香港1755人、台湾346人、カナダ251人、シンガポール238人、ベトナム63人と報告されています

 6番目が「中東呼吸器症候群コロナウイルス(MERS-CoV)」です。MERSは2012年にサウジアラビアで発見され、2019年11月30日時点で27カ国で2494人の感染者がWHOへ報告され、そのうち858人が死亡(致命率34.4%)。2015年に韓国の病院で起こった感染拡大では、中東帰りの1人の感染者から186人へ伝播(スーパースプレッダー事例)しました。内死亡は38人です。

 2002年のSARS、2012年のMERS発生情報に対する日本の厚生労働省の一連の対応は、当時としては完成度が高いと評価できるレベルのものだったように思います。人口規模からすると、日本で流行しても最大1000人程度の感染死亡者を想定しておけばよかったのだと考えられるのです。幸いなことにSARSもMERSも日本国内では感染が発生しませんでした。2002年の台湾でのSARS、2015年の韓国でのMERSのスーパースプレッダー事例は、感染症対策の強化と徹底という施策につながりました。2015年以降の東南アジア圏の病院での「手指衛生管理の徹底」は病院管理の基本に立ち返るものでした。

 日本における2009年新型インフルエンザ(A/H1N1)の感染は、同年5月に成田空港で初めて確認されました。当初は感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律第6条第7項の「新型インフルエンザ等感染症」に分類され、感染者が強制入院の対象となっていました。しかし、WHOからパンデミック宣言がなされたものの、ほとんどが軽症で処置がなくても快復するものであり、致命的な症例の急激な拡大の性質がなかったため、同年6月19日に厚生労働省は方針を変更し、季節性インフルエンザとほぼ同等の扱いとしました。2009年度末までに厚生労働省に報告された死亡者数は198人であり、これは人口10万当たりで比較をすると、海外の多くの国より著しく少ない割合でした。2009年新型インフルエンザ(A/H1N1)は、日本でも一時大騒ぎになりましたが、重篤な症状になる患者も少なく、SARSとMERSではほとんど影響を受けませんでした。このことが幸いしたか禍になったのかは正確に判断できませんが、パンデミックに対する国民の警戒心が若干低下したことは否めないと思います。

 そして、2020年2月11日、WHOは、7番目のコロナウイルスによる感染症を「Severe Acute Respiratory Syndrome CRORONAVIUS-2」と命名し、ウイルス名を「SARS-CoV-2」、感染症の名称を「COVID-19」とするよう要請し、その他の「武漢ウイルス」や「チャイナウイルス」といった俗称の使用を制限することを表明しました。

 日本の感染症学者たちの多くも、「SARSコロナウイルス-2」とか「重症急性呼吸器症候群コロナウイルス」という表現を「COVID-19」に統一しようと提言していました。しかし、政府は感染拡大当初、この感染症を「新型インフルエンザ等感染症」と同等の感染症2類に分類することに決定し、「新型コロナウイルス感染症(病原体がベータコロナウイルス属のコロナウイルスで、2020年1月に、中華人民共和国からWHOに対して、人に伝染する能力を有することが新たに報告されたものに限る)」と名付けました。そのためか、政府は「新型コロナウイルス感染症」という名称を好んで使用し、結果として、「コロナ」「コロナ禍」などという、WHOの要請を無視するかのような用語が独り歩きすることになったのです。

 2023年8月9日のWHOの報告では、COVID-19の感染者は世界で約7.7億人、感染による死亡者は約695万人とされています。ただし、これはあくまでも各地域からの報告を積算した数値であり、テドロス事務局長自身「この3倍あるかもしれない」と述べています。

■日本における新型コロナの対応

 日本でもCOVID-19の感染は拡大し、2020年2月以降秋頃まで、医療従事者のマスクや手袋、ガウンやフェースシールドなどの個人用防御具「PPE(personal pro-tective equipment)」などの不足、そしてその後の深刻なアウトブレイクの報告がありました。正直に言って、一時は未知の感染症の恐怖で医療従事者が委縮した状況に陥っていたと思います。院内アウトブレイクについては、入院患者および病院職員で100名以上という報告も一部にはありましたが、PPEが確保できている病院では、大規模なアウトブレイクの発生は激減しました。医療従者のこの間の尽力には、深く感謝しています。

 政府は、2023年1月27日、新型コロナウイルス感染症対策において、同年5月8日からこれを「5類感染症」に位置づけることを決定し、今日に至っています。

 今回のパンデミックにおいて、日本国政府や都道府県をはじめ、保健所や市町村は最大限の努力をしたと思いますが、一部に不都合や明らかな政治的な判断ミスが生じたり、硬直化した公務員労働の実態が明らかになったという側面もあります。申請主義、文書主義、ICT未対応でFAXのみの対応は、日本の行政の縮図のようでした。特に、医療機関の活用については、結果的に病院側が行政側に振り回されたという印象が残ります。感染拡大の当初、「国公立公的医療機関が主に対応し、民間は補助的な役割をすればよい」という意図の見える公文書が多数発出されていました。

 これについて、政府には、医療機関、介護保険事業者、社会福祉法人に全面的支援を要請し、オールジャパン体制をどのように構築するかという、グランドデザインが欠如していたのではないか━といった指摘をすることも可能です。

■パンデミック時に政府がすべきこと

 パンデミック時には、国民は政府の指示に従うしかありませんから、固唾を呑んで指示どおりにします。このとき、政府には、適切な現状把握や明白な目的・明確な判断基準の公表、一度決定した基準の堅持、そして統治機能としての行政トップのリーダーシップが求められます。ここでは、日本では見られなかったやり方があったという例を示したいと思います。

 それは、アンドリュー・マーク・クオモ第56代ニューヨーク州知事の発言と対応です。2020年3月20日に、州内のエッセンシャル・ワーカ―以外の自宅待機の義務づけを発表する際の記者会見は、すぐに世界を駆け回りました。クオモ知事は、「私が全責任をとる。不満や他人を批判したい気持ちがあれば、私を非難してほしい。私以外に責任ある人物はいない」と発言したのです。シンプルで落ち着いた、一人ひとりの心に伝わるような語りかけで、多くのメディアは好印象だと判断しました。人種のるつぼで、世界の情報発信基地でもある、人口約2000万人のニューヨーク州の決断の瞬間です。トランプ大統領(当時)は即座に大批判を浴びせましたが、それはクオモ知事が民主党選出の知事だからというより、個人的に天敵、あるいは政敵として対立を重ねてきたためでしょう。

 この記者会見の前後で、クオモ知事は、何度も「医療崩壊が起きた。もしニューヨークに来てくれる医療従事者がいれば、助けに来てほしい」と率直に語りかけ、様々な生活上の困難や経済的影響についても正直に語りました。

 自由の国の中心でもあるニューヨーク州を封鎖することは容易ではないし、それを受け入れてもらうのは至難の業です。当然、解除の条件提示というか、誰にでもわかる明確な判断基準が求められていました。知事は早速、CDC疾病管理予防センター、WHO、国務省、その他の公衆衛生専門家の指導に基づいて指標を確立しました。

 それは、州を10地域に分け、地区ごとに以下の7つの基準がクリアできれば段階的に解除というもので、「メトリックス」と呼ばれました。

  1. COVID‐19の入院患者数が14日間減少、もしくは3日間の平均が1日につき15人未満になる。
  2. 上記入院患者数の中から死者数が14日間減少、もしくは3日間の平均が1日につき5人未満になる。
  3. 1日あたり新規入院者が、3日間の平均で10万人あたり2人未満になる。
  4. 病院の病床数に少なくとも30%の空きがある。
  5. 集中治療室の病床数に少なくとも30%の空きがある。
  6. 住民1000人当たり、7日間平均として、少なくとも30検査/月が実施される。
  7. 住民10万人当たり、少なくとも30人の濃厚接触者の追跡調査を行う。

 また、経済活動再開へ向けた出口戦略については、活動再開の業種の第1フェーズは建築業と製造業。第2フェーズは小売業、不動産業。第3フェーズは外食産業やホテル業。第4フェーズは芸術、娯楽、エンターテインメント業とされました。

 これは、数字はともかく、その後大阪府が示した自粛解除要件、そして、少し遅れて公表された東京都の基準とよく似ています。どちらが本家なのかは、時間経過を知れば明らかでしょう。

■備えあれば憂いなし

 米国疾病対策センターは、2023年8月5日までの1週間のCOVID-19による入院患者が約1万人で、前週の14%増であると公表しました。この入院患者数は、アメリカ政府が5月に非常事態宣言を解除する前の数字を上回っています。アメリカの感染株はオミクロン型から派生した変異ウイルスで「EG.5」の感染拡大だとされています(WHO;EG.5 Initial Risk Evaluation, 9 August 2023)。

 現在、日本や世界各国で非常事態宣言は解除されていますが、COVID-19が終焉したわけではなく、今後とも最大限の注意が必要なことを、医療関係者は理解するべきだと思います。天然痘は撲滅ができましたが、多様な感染症をすべて撲滅することは不可能ですので、パンデミックに対応できる院内体制を構築することが重要です。

 100年以上前から「手洗い・マスク」は感染症対策の基本です。「手指衛生管理の徹底」と「PPEの備蓄」は病院管理の基礎で、ほかにも「身体的距離(日本では2m、欧米で1.8m)の確保」や「個食」なども重要です。2020年12月に厚労省が公表した「新型コロナウイルス感染症発生時の業務継続ガイドライン」を参考にするのもよいでしょう。また、先述のとおり、介護報酬では感染症や災害用のBCP策定が全事業者への義務とされました。これを機に、ぜひ感染症対策を見直してください。

 感染症は撲滅できません。いつか必ずパンデミックが世界を襲います。強度に恐れることはありませんが「備えあれば憂いなし」です。ただし、「災害は忘れたころにやってくる」というのも真理なのかもしれません。

「まさか」に備える ~大規模災害のリアル~

■大規模災害に対するマネジメント

 「大規模災害」とは、自然災害や人的災害により、被害が広範囲にわたり、復旧までに長時間を要し、被災地内の努力だけでは解決不可能なほど著しく地域の生活機能や社会維持機能が障害されるような災害のことです。基本的には、政府により「激甚災害」に指定される災害を指します。各種の「風水害」「地震」「火山爆発」などは自然災害(Natural Disaster)に区分されますが、大規模な火災や、工場、原子力発電所、鉄道、航空機の事故、あるいはテロ・武力行使といったものによる場合は人的災害に区分する場合があります。

 このような分類とともに、原因が何であれ、断水、電力や通信等の途絶、あるいは広範囲な伝染病も災害と認識されていますが、以下では医療機関に対する自然災害に限定して説明します。

 患者さんの命を守る医療機関の施設・設備が円滑に機能できるように、あらゆるリスクを前提とした施設・設備・組織のマネジメントを行うことは重要な業務です。このような業務を「リスクマネジメント(Risk Management)」と呼びますが、「リスク」はあくまでも想定内の範囲ということになります。一方、想定外の突然の火山噴火や発生する確率が低いと考えられてきた風水害などは、想定外の危機状況━「クライシス」と考えられ、そのマネジメントは「クライシスマネジメント(Crisis Management)」と呼ばれます。

 最近の危機的自然災害の発生に対して、リスクマネジメントでは、危機が発生する前に、それを回避し被害を最小限に抑えるため、対策を講じることが重要だとされ、一方のクライシスマネジメントでは、危機は必ず発生するという考え方から、機能不全に陥ることを覚悟のうえで、初期対応や2次被害の回避を行うことが重要であると認識されるようになってきています。

 つまり、リスクマネジメントは事前策、クライシスマネジメントは事後策という理解です。ただし、これまでの半世紀近い個人的体験では、万全なリスクマネジメントも、最適なクライシスマネジメントも、困難の連続です。事前のリスクマネジメントでは、組織成員のすべての人が対応できる状態を維持することは、できません。特に、根拠のない「安全神話」や「ここまでやっとおけば大丈夫」という思い込み、「まさか起きないだろう」といった暗黙の了解が職員間で共有されている事実を目の当たりにすることが何度もありました。

 事後対応は困難を極めます。医療機関の復旧以前の問題として、職員もほとんどが被災者で、患者家族や避難場所としてやってくる地域住民の対応もしなくてはならないのですから。

■災害時のリアル

 1995年1月17日午前5時46分52秒、阪神・淡路大震災が起きました。阪神・淡路大震災では多くの病院が被災しました。このとき、神戸市長田区の市立西市民病院では病棟の5階部分がつぶれ、入院患者さん1人が死亡しました。当時、病院には250人近くが入院していたほか、約600人のけが人が運び込まれましたが、電気や水道などのライフラインが途絶え、十分な治療ができませんでした。また、神戸市東灘区の医療法人明倫会宮地病院は全壊し、スタッフ1人が死亡しました。

 地震発生から1週間後にわかったのは、住民の多くが「地震は起きないと思っていた」という事実です。多くの被災病院が、「電気が止まった」「貯水槽が壊れた」「水冷発電機も壊れた」「電話はつながらない」状況に陥り、「高齢者が避難所で死んでいる」という情報への対応を迫られたことを、後世に伝えることが重要と考えています。

 それから16年と54日後の2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするモーメントマグニチュード9.0の東北地方太平洋地震と福島第一原発事故よる災害が起きました。東日本大震災における被災3県の災害拠点病院全33病院のうち、一部損壊は31病院、全壊は0でした。建物は残ったものの、病院としては機能できず、復旧は困難でした。

 この地震に伴って発生した高い津波は、東北地方の太平洋沿岸部をはじめとする各地を襲うとともに、福島第一原子力発電所における事故等を引き起こしたのです。東日本大震災による被害は、死者1万5900人、行方不明者2525人(2021年6月10日時点)に達してしまいました。特に被害の大きかった岩手県、宮城県および福島県の東北3県をはじめ、全国における避難者数は、発災直後約47万人に上り、多くの被災者が避難所生活を強いられたほか、福島県では、原子力発電所における事故の影響を受け、福島第一および第二原子力発電所の周辺住民等に対し避難指示等が発令されました。最終的に、帰還困難区域を除く全地域で避難指示が解除されたのは、2020年3月のことでした。

 東日本大震災での被害総額は、約17兆円で、国内総生産(GDP)に対する比率は3.5%に達しました。発生から10年経過した時点で「復旧」はほぼ完了しましたが、10年前に戻れるわけでもなく、人口減少が続き自治体の存続を継続することが困難な状況に陥っている町村もあります。

 被災した病院の多くが、通常の診療を継続することができませんでした。太平洋沿岸地帯では、電力・通信・データが完全に焼失し、水道、ガス、ガソリン、重油などの供給網が断絶され、道路の切断による災害支援物資が届けられないという状態が1週間以上続いた地区が数多くありました。この間、入院患者さん、病院職員、病院に避難してきた被災者は「着の身着のままの状態で、入浴はおろか洗面もままならない状況で、流れてきたロッカーなどを簡易加熱台として使用し、焚火で調理を1週間続けた」という報告もあります。

 最近では、2019年10月12日午後、台風19号により新設からまだ数年の医療法人平成博愛会世田谷記念病院が水害にみまわれ、長期間診療を中止しました。翌20年7月4日に熊本県南部を襲った豪雨により、浸水被害を受けた医療機関は30施設ありました。このうち医療法人社団同心会人吉リハビリテーション病院は、地下と1階部分がすべて浸水。COVID-19の感染対策をしながら関連の老人保健施設からの食事搬送を数カ月継続することになりました。

 2023年7月10日、久留米市田主丸町の田主丸中央病院は、記録的な大雨の影響で4階建ての建物の1階部分が膝下ほどの高さまで浸水し、地下室にある主電源が停止してしまいました。1階の病室の入院患者さんを上の階に避難させ、1階部分の土砂の片付けを急ぎましたが、復旧には長時間かかりました。

 以上、病院名を書かせていただきましたが、すべて被災前から存じ上げている病院です。院長の皆様は異口同音に「まさか」と話されていました。これが災害のリアルなのです。

■いちはやくBCPの作成を

 「BCP(Business Continuity Plan=事業継続計画)は、医療機関や介護保険施設などでは、よく知られた言葉だと思います。厚生労働省医政局の「BCPの考え方に基づいた病院災害対応計画作成の手引き」(2013年3月)では「震災などの緊急時に低下する業務遂行能力を補う非常時優先業務を開始するための計画で、遂行のための指揮命令系統を確立し、業務遂行に必要な人材・資源、その配分を準備・計画し、タイムラインに乗せて確実に遂行するためのもの」と定義されています。また、老健局も「介護施設・事業者における自然災害発生時の業務継続ガイドライン」(2020年12月)を公表しています。

 介護保険では2021年の改定により、介護事業者が2024年4月までにBCPを策定することが義務化されました。病院に対してもBCPの策定は奨励されています。直近のデータはありませんが、全国8132病院のうち半数程度は未策定なのではないかと思います。国家権力によって強制するとか、経済的に不利になるような仕組みを作らない限り、リスクマネジメントもクライシスマネジメントも後回し━という現実を、何とか改善するべきだと考えます。

 「備えあれば憂いなし」と言いますが、実は「備える」には多くの努力と協力が必要です。まず、形式的でもいいから、厚労省の推奨するマニュアルを参考に計画の作成に着手することです。つぎに、それを職員に周知させる段階に進むことが必要です。ここまでは、施設管理者の責任です。

 なんでこんなことが必要かといえば、この過程を経ないと単なる文書作成だけで終了してしまう恐れがあるからです。施設・設備・組織を強靭化しない限り、患者さんや利用者さんの命が守れません。

 そのうえで、施設・設備・組織のあらゆる課題をピックアップすることが必要です。改築計画の打ち合わせで、エネルギーセンターや緊急時の発電装置、栄養部門や放射線部門が地下に展開されている図面を見せられると、災害対応(特に水害)がまったく頭にないことがわかります。海抜30m以上であれば、水害が起こる可能性は低いでしょうが、海抜30m以上の病院など、そうそうないはずです。

 「集中豪雨」は、線状降水帯が数時間停滞することで、広い範囲に長時間激しい雨が降る現象を指します。前3時間積算降水量が100㎜以上で集中豪雨とされますが、最大で150㎜以上ともなるこの現象は、全国どこでも発生する可能性があります。どこかで雨水処理能力が低下していたら、150㎜以上になったときに対応不可能になってしまうという地域も少なくありません。

 病院を取り囲む防水フェンスの設置をはじめ、病院でできる対策がないわけではありません。非常用の発電機や衛星電話などの機器も改良されています。自然災害に人的災害が重なり大きな被害となる事例も少なくありません。何らかの対応をしなければ、施設・設備は守れません。そのために、最大限の努力と協力が必要だと思います。

 特に、必要なのは周辺住民の皆様と事前の話合いや行政との連携です。医療機関同士の災害時の連携協定や、全国の医療機関との有事の際の協力体制などについての協議も有効です。

 「令和3年版 防災白書」の付属資料25には、「令和2年以降に発生した世界の主な自然災害」として、地震・洪水・熱帯低気圧・暴風雨・暴風雪・干ばつ・地すべり・山林火災━などの、おびただしい数の事例が列挙されています。

 2020年5月、サイクロンが原因で、「20年に1度」といわれる大洪水(ただし過去20年でいえば5度目)がバングラデシュを襲いました。さらに、降雨の続くモンスーン期にあたる同8月上旬には国土の3分の1が浸水し、550万人以上が被災、105万世帯以上が浸水、145人以上が死亡しました。バングラデシュでは、洪水被害とCOVID-19による経済の停滞の二重苦により、まったく復旧が進まない地域も多く、人口の約3分の1が貧困状態に陥っているとのことです。

 2023年2月6日に発生したトルコ・シリア大地震では、7万3000人が死亡し、判明した被害だけでも、倒壊建物がトルコ国内で21万4577棟、シリアは1万棟以上。2000万人以上が被災して(トルコで1300万人以上、シリアで880万人以上)、数百万人が避難生活を送っており、被害額はトルコ国内だけで1000億ドルを超えると推定されています。現在でも、住宅が確保できずに野外でテント暮らしをしている人が30万人以上いることを、メディアは伝え続けています。

 災害発生時に地域医療の要として重症者の初期治療を担い、地域の他の病院を支援することを目的とする「災害拠点病院」は、2023年4月時点で、全国で770病院が指定されています。この制度は、1995年の阪神・淡路大震災の教訓から各都道府県が整備を進めてきたものです。厚労省は指定要件として、24時間緊急対応でき、災害発生時に被災地内の傷病者の受入・搬出が可能な体制を整備することや、災害派遣医療チーム(DMAT)を組織し、BCPを整備することを求めています。もちろん、最低3日分の食料や水の確保も必要と考えられています。

 しかし、前に述べたとおり、東日本大震災では被災3県の災害拠点病院全33病院のうち、一部破損が31病院もあり、周辺の住民も病院に避難してくるという現実を直視すれば、3日分の食料や水の確保は十分でないこと、そして都道府県単位ではなくオールジャパンで考えていく必要があることは明らかです。

 大規模災害は必ずやってきます。日本の医療機関は、自然災害でとてつもない被害を受けています。つぎは、貴院の番かもしれません。医療機関のいっそうの防災対策立案をお願いします。

※BCP(事業継続計画):震災などの緊急時に低下する業務遂行能力を補う非常時優先業務を開始するための計画のこと。医療機関におけるBCPについては、阪神・淡路大震災や東日本大震災といった大規模災害を踏まえ、2013年に厚労省から「BCPの考え方に基づいた病院災害対応計画作成の手引き」が発出された。

月間/保険診療2023年10月号(医学通信社) 

特集/“セキュリティ”の鉄則~サイバー攻撃、犯罪、医療事故、災害、パンデミック~に掲載

※文字・文体等は変更しております。

社会医療研究所 所長

小山秀夫