Ⅲ.日本の病院と病院管理学


 病院管理学

 今日では、病院管理学(Hospital Administration)は、医学、公衆衛生学、看護学、経済学、経営学、法律学、社会学、社会福祉学、心理学、統計学など集学的な学問体系であり、その基盤を医療分野(ヘルスケア)の医療社会学と管理科学(マネジメント・サイエンス)におくものとして、理解されるようになりました。しかし、わが国で「病院」という形態が受け入られ、管理科学の手法が病院の管理に取り入られるようになるのには、長い時間が必要でした。

 日本で「病院」という用語が公文書で使用されたのは1868か69(慶応4か明治元)年の「(仮)横浜軍陣病院」だといわれています。日本で病院という名称がつけられた専用の建物があったことが確実なのは、ポルトガル生まれの医師・貿易商で、のちにイエズス会士として来日したルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida,1525?-83)が、1557年に大分で開設された外科・内科・ハンセン氏病科を持つ「府中病院」です。これが西洋医学が初めて導入された場所であり、日本初の病院です。また、1861年長崎でオランダ海軍軍医J.L.C.ポンペ・ファン・メールデルフォールト(Johannes Lijdius Catharinus Pompe van Meerdervoort,1829-1908)が日本初の西洋医学の本格的西洋式病院とされている小島養生所を開設しました。ポンぺは、1857年徳川幕府から医学教授を依頼された長崎海軍伝習所教官、市内外浦町の長崎奉行所西役所に医学伝習所を設立し、西洋医学教育の礎となりました。記録としては、1858年に函館で「ロシア病院」が開設されましたが61年に火災により焼失し、63年に函館領事館の隣に「ロシア海軍病院」が開設され、函館の住民にも開放されたそうです。しかし、66年にはこの病院も焼失しています。

 明治元年、新政府は組織を定め「海陸軍務科」が軍の病院を所管、東京の山下門(東京都の日比谷公園向かいの現在の帝国ホテルの隣地)に軍の病院として最初の兵隊假病院(後の東京陸軍第1病院)を設置しました。1870(明治2)年に「兵部省」に改組し、翌年大阪城内「軍事病院」と「陸軍軍医学校」をプロイセン=ドイツ医学を導入して設立しました。1872(明治5)年には文部省に医務課が設置され、翌年、医務局に昇格し全74条の「医制」が制定され、欧米の医療制度を導入し、各地に病院が設立されるようになりました。1877(明治10)年の全国各地の病院数は106、うち官立7、公立63、私立35になり、その5年後には650院(陸海軍と文部省立含まず)に及んだという統計があります。その後、日本の病院は増加し続け戦前のピークは1941(昭和16)年で4,858病院、199,831床でした。その後戦争の影響で減少し、終戦時には大半の病院が消滅し、存続していたのは僅か645病院に過ぎなかったのです。なお、1948(昭和23)年、戦後の医療法、医師法、歯科医師法、薬剤師法、保健婦助産婦看護婦法などが制定され、病院は20人以上の患者を収容する施設と定義された年には、3,633病院、256,699床が整備されていました。

 医療保険の登場

 時代は多少前後しますが1883年に、プロイセンのビスマルク宰相が、社会主義者鎮圧法を制定する一方で「飴と鞭政策」として、世界初の社会保険制度(疾病保険法)を制定し、翌84年に災害保険法、89年に老齢疾病保険法を制度化しました。資本主義体制経済は、経済発展を優先しましたが、一方では大量の労働者(無産)階級を生み出し、これらの人々は長時間低賃金労働を強いられたばかりか都市の過密、不衛生、伝染病、貧困の中で生存していたのです。それは、必然的にプロレタリアートに社会主義が熱狂的に支持され、革命運動が頻発するという状況を生み出しました。

このような状況を背景として、例えば、毎日の糧を得るために働く労働者の世帯主が病気やケガで働けなくなれば家族は貧困に陥り、食べることすらできなくなります。病気が貧困を生み出し、貧困が病気を誘発するという「疾病と貧困の悪循環」が起こるのです。それを、放置すれば労働者の人手不足が起こるため、為政者たちは国家として労働力の保全培養が不可欠だと気づくようになり、そこで強固な「飴と鞭政策」により「貧者の安定は富者の安全」だと考えるようになりました。

 具体的手法として、労働者の医療費に社会保険方式を導入したのです。このプロイセンの政策は、何らかの形で多くの資本主義国家で参考にされました。日本もその例外ではなく1910年代の大正デモクラシー時代に労働者階級の医療費の負担軽減策や疾病保険の必要性が要請されるようになったのです。時間はかかりましたが、1922(大正11)年労働者を対象とする健康保険法が制定(ただし国家財政難もあり5年後の昭和2年から施行)されました。このような医療費の社会化は、他方では治療費が病院への直接的な収入になるため病院経営の安定という副産物を生み、治療費収入を当てにして病院が設立されるという経済循環を作り出していったのです。

 1939(昭和13)年、新たな官庁組織として厚生省が設置され、いわゆる富国強兵策として、他方では国家総動員法下の国民の健康と民意の安定を目的として、農民などを対象に「国民健康保険法」が施行されました。しかし、当時、何らかの医療が受けられる国民は、7割程度で、入院医療が必要と判断されたとしても入院できる病院にアクセスできないという状況が生じていました。医療費を社会化することで医療供給体制が確保できるのではないかという政策側の意図は「保険はあっても医療なし」と揶揄され、翌40年には日独伊三国軍事同盟が締結されるという緊迫した時代に、日本の病院運営も窮地に陥ったのです。

終戦は圧倒的に医療資源が不足しており、医療システムも未整備で、医療の確保が政策目標として設定されるものの、なすすべもなく病気と貧困が大問題で混乱状態にありました。当時、わが国の病院は運営だけでなく、施設環境も含めて近代化が著しく遅れており、それらを改善することが急務でしたが、医療の確保を含む医療の社会化を進め、これまでの軍事国家から敗戦により福祉国家建設を目指すことになります。

 病院管理の導入

GHQ(General Headquarters)はわが国の病院が「欧米の中世紀のそれに等しい」と酷評するとともに「日本の病院には病院管理がない」とし、日本の厚生省に早急に改善するよう命令し、そのモデル病院が(旧:帝国陸軍第一病院、現:国立国際医療研究センター病院)でした。GHQの指導の下、当時日本の病院の約20%を占めていた旧帝国陸海軍病院が厚生省に移管された国立病院等の病院長に対する病院管理(Hospital administrationという用語がわが国で初めて使用された)の研修を常設する目的で1948(昭和23)年に病院管理研修所(現:国立保健医療科学院)が設立されました。また、翌年、病院管理研修の東京在住の修了者を中心に「東京都病院管理者協議会」が組織され、その後、全国的な病院団体として51(昭26)年に日本病院協会(現:日本病院会)が設立されました。その後、病院管理の改善の動きは全国の大学付属病院へと広がり、52(昭和27)年東北大学医学部に病院管理講座が開設され、ついで日本大学、順天堂大学、慶応義塾大学と広がっていき病院管理学の基が築かれていったのです。こうした中で、病院管理学を研究する学術団体として63(昭和38)年に日本病院管理学会(現:日本医療・病院管理学会)が設立されました。当時の病院管理学の研究は、当初、医療管理や経営管理といったテーマが中心でした。しかし、病院管理学は、医学、看護学、保健学、公衆衛生学、経済学、社会学、社会福祉学、会計学、統計学、情報学、建築学など各種学問領域が重なり合って構成される学際的な学問領域であり、文理融合の研究が求められました。その後、医療政策学、医療経済学、医療経営学、医療情報学、経営工学などの発展とともに、近年では単に病院の管理だけでなく日本や諸外国の医療制度までも研究の対象が広がりってきており、医療政策・制度、職員の教育・人材育成、医療安全、医療の質の評価、在宅医療、地域医療、組織の運営管理など様々な研究が行われています。このように病院管理学は、各種学問領域が重なり合って構成される、きわめて学際的な学問領域として各種の実践と研究が行われています。現在では、多分野の大学・大学院、各種学会、研究所、協会等の団体において病院管理学の研究、教育、研修が行われ、病院管理専門人材の養成と研鑽が進められています。

病院管理学について、わが国では日本医療・病院管理学会http://www.jsha.gr.jp/があるので、参考にしてください。なお、病院管理学の開祖は冒頭に紹介したナイチンゲールだと考えられていいます。クリミア戦争時スクタリの病院の看護総責任者として活躍したナイチンゲールは、兵舎病院での死者は、大多数が戦傷ではなく、病院内の不衛生(蔓延する感染症)によるものだったと後に例証しました。また、彼女のNotes on matters Affecting the Health,Efficency,and Hospitals Aaministration of British Army1858.(英国陸軍の健康、能率、病院管理に関する覚書)は、病院管理学における最初の科学論文として位置づけることができます。

【参考】

病院の通史で、現在、購入可能なものはほとんどないので、公立図書館や専門図書館(国立保健医療科学院等)の利用を推奨します。病院関係の文献資料はインターネット検索でも通史的なものを見つけ出すことは難しいです。比較的新しい代表的なものとして、つぎのものがあります。

1.福永肇『日本病院史』ピラールプレス,2014。

2.伊関友伸『自治体病院の歴史―住民医療の歩みとこれから』三輪書店,2014。

3.猪飼周平『病院の世紀の理論』有斐閣,2010。

なお、ナイチンゲールの著作については、大量の書籍がありますが、入手可能なものとして以下を紹介しておきます。

4.助川尚子訳『ナイチンゲール看護覚え書き決定版』医学書院,1998。

5.茨木保『ナイチンゲール伝 図説看護覚え書きとともに』医学書院,2014。