「知的起動力」の発揮

「知略」とは「知的機動力」で賢く戦う哲学であり、過去、現在、未来の時間軸で、共通善のために「何を保守し、何を変革するか」を、動的なバランスを取りつつ、常に組織のなかで本質直截を共創しながら行動し続ける戦い方を指します。知的機動力とは、共通善に向かって実践知を俊敏かつダイナミックに創造、共有、練磨する能力であると、定義します。

以上は、野中郁次郎著、聴き手・前田裕之の「『失敗の本質』を語る」日経プレミアシリーズ476、232頁から勝手に引用させてもらいました。それにしても、何とも適切な定義で脱帽するしかありませんが、今、日本に求められているのが、この「知的機動力」の発揮なのではないでしょうか。この定義にたどり着くまでには半世紀以上の経営組織研究者の長い知的格闘があったことを、平易に淡々と語り、野中原理の全容を余すことなく伝えています。

邦文著書の出発点は74年の『組織と市場―組織の環境適合理論』だと思いますが、経営学とはこうだという気概が感じられました。84年に公表された共同研究の成果としての『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』ダイヤモンド社、そして95年の『アメリカ海兵隊―非営利組織の自己革新』中公新書は、感銘し何度も読み返しました。

旧日本軍が持っていた組織的特質は戦後も日本の組織全般に引き継がれたという「失敗の本質」の指摘、その日本軍に勝利した海兵隊を「自己革新組織」と表現されたことについては、目から鱗でした。

「われわれは語ること以上に多くのことを知ることができる」というマイケル・ポランニーが提唱した暗黙知に着目した組織研究は、やがて「組織的知識創造理論」に発展します。暗黙知と形式知の4つの組み合わせから共同化・表出化・連結化・内面化の4モードから編み出されたSECIモデルは、その原動力がフロネシス(賢慮・実践知)であると主張します。

フロネシスとは、社会における「善いこと(共通善)」の実現に向かって、現実の複雑な関係や文脈を鑑みながら適時かつ適切な判断と行動が取れる能力なのです。このような理論は、20年の『ワイズカンパニー―知識創造から知識実践への新しいモデル』(竹内弘高との共著、東洋経済新報社)や21年の『知徳国家のリーダーシップ』(北岡真一との共著、日経新聞出版)において、遺憾なく展開されています。

僅か279頁、990円の新書版の本ですが、野中郁次郎先生の知的展開、研究過程、理論の骨子そして研究成果のエッセンスが凝縮されたものです。是非、多くの医療や介護そして福祉関係者の皆様に通読いただきたいと思います。この本に興味があれば『失敗の本質』『アメリカ海兵隊』をはじめ巻末に示してある一連の著書を読んでいただけると嬉しいです。関連文献として挙げられているのがローレンス・フリードマン『戦略の世界史』や、エドワード・ルトワックの「戦争にチャンスを与えよ」を読んでも興味深いですよ。

◎野中先生は凄過ぎです

4半世紀前のことと記憶していますが、野中郁次郎先生には2度お会いしました。「通勤電車の中で読むような経営学の本ではなく、正座して読んでもらえるような本を書くべきだ」「アメリカの経営学者は、もう少し東洋思想が理解できると幅が広がるんだがなー」とおっしゃっていました。わたしは、多数の経営学者とお会いしましたが、今日に到るまでこのようなことは聴いたことがありません。多分偉い学者さんなんだなとは思いましたが、今はよく理解できます。特に、日本人として経営学分野のそれも組織論から知的創造という主張を世界に発信した業績は、国際的に高い評価をえていますし、どちらかというとハウツー本か要約本がひしめき合う書店の経営コーナーに、正座して読みたい本はマレでしかないからです。

アメリカ経営学でKAIZENやKANBANは広く知られていますし、孫子の兵法や武士道は認知されていると思います。しかし、孔子の論語、儒教については英訳があっても親和性が今一なのかもしれません。渋沢栄一の『論語と算盤』の英訳本はあるのかもしれませんが、声高に『道徳経済合一説』なんていっても、キリスト教国では「道徳」は日常すぎるし、経済が非道徳的だと思い込んでいる人が少ないのかもしれません。

野中郁次郎先生の著作の多くを拝読し、たくさんの方にも紹介させていただきましたが、研究活動をペアで進めることや、勉強会や研究会を開いてチームで検討を加えること、研究対象の選択や研究目的の明確化など、多くのことを学びました。その結果、野中先生は凄い学者だと思います。

◎簡素で適切は年の功?

偉そうに聞こえるかもしれませんが、年長者は、長年経験を積んでいるだけに、若者より知恵や技能があるのではないかと秘かに思っています。この3か月間に読んだ本は、10冊以外40冊余りはなんと70歳以上の著者です。野中先生の本はかなり難しいことを書いてありますが、年々簡素で適切な表現になられているように感じます。多分、凄い編集者と能力がずば抜けた校正者がいらっしゃるのだと思います。

少し変ですが、若いころ年齢差はとても大きな差だと考えてきたというより、長兄とか親兄の礼だと刷り込まれ、1学年違いえば天国と地獄、同級生でも生まれた日が早い順に偉いかのようなばかばかしい世界で青春時代を過ごしました。パリにお住まいの方は「35歳以上はみんな同じ歳なのよ」なんていわれて、そんなもんかと感心したこともありました。アメリカは、定年もないし高齢者は若いというか自立していることを強制され、家族や地域への貢献を忘れてはなりません。日本は老親の面倒をみようと考える世代がいることがいいのだか悪いのだかわかりません。

長兄の礼のような、先輩を尊重する文化水準が感じられないのは医師の世界です。同門ではかなり順位秩序がありそうですが、医療の技術革新のせいかどうかわかりませんが年齢差というよりパワーがある人が強そうです。大学の医局で教授というのは絶対支配者で、先輩方が敬語で話していることに違和感さえ感じます。それでも、簡素で適切な学説は、年の功ですかね。

社会医療ニュースVol.48 No.566 2022年9月15日