『健康管理の原点八千穂村』(講演録)
1961年に日本で『皆保険』制度が確立したことはよく知られています。戦前の1938年に(旧)国民健康保険法が制定されましたが、全国に普及することはできませんでした。1956年の『厚生白書』には「1,000万人近くの低所得者層が復興の背後に取り残されている」と書かれています。当時、国民のおよそ3分の1にあたる約3千万人が公的医療保険に未加入でした。
1958年に新しい「国民健康保険法」が制定されましたが、全国で各種の混乱が続発します。まず、保険料として「国保税」か「保険料」が徴収されることになり、被保険者は医療機関受診時に一部負担として診療費の5割を支払うことになったのです。
終戦の年の3月に佐久病院に赴任した若月先生は「日常の診療の中であまりに手遅れが多いことに気づき」、病院から一歩外にでて「出張診療」を始めたそうで、そんな関係から八千穂村の井出幸吉村長と酒を酌み交わす関係が続いたそうです。
当時、農家で現金収入が収穫時期しかない八千穂村では国保被保険者の5割の一部負担は、1年間まとめて後納すればよかったのに、受診時に現金で半額払えといわれても、現金がない患者は受診できない。これでは「病気になっても医者にかかれない」と村長と若月先生は意気投合して、新しい国保制度に反対運動をはじめましたが、「国が決めたんだから仕方ない」ということで、抗議運動は収束してしまいます。
「じゃ、村長さん仕方がない。八千穂村は村民全体の、全村健康管理をやって農民の健康を守ろうじゃないですか」「どんなことやるんだ」「医者が村に行って血圧を計り、尿を調べるだけでいい。そしたち安い費用で、高血圧や糖尿病、肝臓病などいろいろな病気の予防に大きな役割をしますよ。病院がでかけますよ」「では、それやってみよう」
こうして翌年7月、全村健康管理がスタートです。「そこで1人百円という安い費用で、村全体の健康診断を始めたのです。そのころの村の人口は4千数百人でした。こんなことは、日本はおろか、世界中のどこでもなかったと思います。世界で初めて八千穂村でやったわけです。がんこおやじの井出村長さんが、村が責任をもって、全村でやると言う事で、始まったのです。」
以上は、今から30年前の1993年8月8日、佐久総合病院「第10回健康まつりの」での若月俊一先生の『健康管理の原点八千穂村』という講演録からの引用です(「」内は全て講演録のママ)。
◎1981年7月厚相来訪
講演録の後半は以下のように続いています。長文になりますが是非読んでくださいませ。
当時の村山厚生大臣が大谷公衆衛生局長と、佐久病院に見えられていたのです。そして私に言われるのには「今度の国会で老人保健法を通したい。老人といえども、医療費の自己負担をある程度やってもらわないと、国も県も村ももうやっていけない」と。「よく分かりました」と私は答えました。もうその頃は、デンマークやスウェーデンでも、老人医療費をタダでやるわけにはいかなくなっていた。もう、そういう時代になって来たのです。ただし、それだけでは、国会が通らない。そこで、「八千穂村でやっているような健康管理方式を国の方針として打ち出したい」と言うんです。つまり医療費の自己負担をしてもらうと同時に、保健事業もやりたい、それに八千穂方式を参考にしたいというわけです。
そこで私は、「八千穂村で健康管理を始めてから、村の医療費他の市町村と比べてずっと低くなってきたことは事実である」ことを申し上げた。そしてこれについて国際的にも紹介されている英文の統計グラフをお見せしたら、「よし分かった。これでいこう」といわれてお帰りになった。そして間もなく老人保健法の成立となったわけです。つまり八千穂村のデータがもとになって老人保健法ができたという。少なくともその大きな役割を担ったということは確かなことです。この歴史的事実の意義をもう少し考えていいのではないでしょうか。
◎老人医療有料化反対運動
「福祉元年」と呼ばれた1973年に高齢者を対象とした新たな医療保険体制である老人医療費支給制度が創設されました。公費の効率的な再分配により、70歳以上の高齢者ほぼ全員についてそれまで自己負担であった医療費3割分が無料化され、「高額療養費制度」も創設されました。被用者保険の家族が先行して対象となり、その後国保、被用者本人にも広まりました。高齢者の医療のための支出は1980年までに1973年以前の4倍以上に膨れ上がり、財源の持続可能性に対する懸念が広がったことから、政府は「老人医療費無料化」を中止して低額の一部負担の導入を進めようとしたのです。
政府は国会に「老人保健法案」を提出しますが、世論は「福祉有料化」だということで大きな政治問題になります。この法案は職域保険の保険料を市町村運営の国保に充て、財政補助をすることによって国保財政を救済するという政策意図もありましたが、合意の形成は困難です。医療費の負担だけではなく、「地域における老人保健活動と連動しないと国民の理解がえられないのではないか」という政治的判断が求められていたのです。
講演録にある村山厚生大臣・大谷公衆衛生局長とあるのは、村山達雄(1915ー2010)第65代厚生大臣で、大蔵省主税局長から衆議院議員(12期)を務め、大蔵大臣を歴任し、税制通で知られ、消費税導入にもかかわった大物政治家です。
大谷藤郎(1924―2010)公衆衛生局長とは、医務局長で退官後大学教授に転身しましたが、精神障害者やハンセン病患者の人権保護・待遇改善に積極的に取り組み、1993年にはWHOから社会医学・公衆衛生分野におけるノーベル賞といわれるレオン・ベルナール賞を授与された公衆衛生医です。
老人保健法制定後には、医療費等の支給以外の保健事業として「健康手帳の交付」「健康教育」「健康相談」「健康診査」「機能訓練」「訪問指導」が規定されました。これらのほとんどの原点が八千穂村だということは、確かです。
社会医療ニュースVol.49 No.578 2023年9月15日