暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ

このごろ二度読みする本になかなか巡り合えていませんでしたが、ノンフィクション作家の堀川恵子さんのこの本は素晴らしい。もう一つの日本帝国軍の失敗の本質が、新資料を基に丁寧に書かれています。

大西洋戦争中に命を落とした非戦闘員である船員は6万余人で、戦死者比率は43%というおびただしい犠牲者であったにかかわらず、正確な記録もないまま歴史の狭間で広く関心を集めることもなかったのではないでしょうか。戦後76年目の今、せめてもの供養として老若男女を問わず手に取っていただきたいと思い、紹介します。

日清戦争時になぜ広島が大本営になったのか?なぜ宇品におかれた輸送部隊を広島の人々は「暁部隊」と呼ぶようになったのか?多分、軍事史の中で世界に先駆けた旧陸軍の強制揚陸艦「神洲丸」をMTとなぜ呼んだのか?なぜ、ヒロシマに原爆がおとされたのか?そして宇品の船舶司令官は率先垂範して万単位の全部隊を放射能に汚染された被爆地に送り込んだのでしょうか?

これらの答えが全て書かれています。日清戦争時に鉄道は広島までしか伸びていなかったこと、明治13年に広島県令(知事)に就任した仙田貞暁旧薩摩藩士が宇品港を整備したこと、旧陸軍運輸部長の松田巻平中将と田尻昌治少将ツートップの頭文字がMTであること、米軍の原爆投下候補地を選定するための「目標検討委員会」が広島を重要な軍隊の乗船基地と認識していたことなどが、次々に明らかにされるのです。

原爆投下後、呉の旧海軍は動かなかったのですが、宇品の船舶司令部の佐伯文郎司令官はただちに偵察隊をだし、消火艇を派遣し、救難艇にて患者を護送し、被災者用の衣糧を軍用倉庫から放出しました。佐伯中将は関東大震災時に参謀部交通課の大尉で、関東大震災の災害復旧が参謀として初めての重大任務だったことが白日の下になるのです。

太平洋戦争開戦以前から船舶司令部が船員の身分を「少なくとも軍属」「戦死の場合は軍人同様に」と陸軍省に求め続けていたことを正確に確認できたことは、大きな収穫ですが、堀口さんはつぎのように書き加えています。

船乗りたちの存在を「軍属は人間以下」「船員はハト以下」などと公然と蔑んだ当時の陸軍の風潮から考えると異例なことだ。

第1次世界大戦勃発以降の日本帝国陸海軍部のロジスティクスや情報に関する学習能力は、世界水準からみても著しく立ち遅れていたことがよくわかります。人の生命軽視思考と国家を破滅させた原因を旧軍の学習能力不足のみに限定することはできませんが、ムチ、ムチャ、ムコウミズな戦争指導は2度と繰り返すわけにはいかないことを、わたしは学びました。

この本の最後に穏やかな海面に突き出ている柱のようなものに大きな花輪をたむけ頭を垂れているスエットスーツ姿の男性の写真があります。2020年1月28日と読めます。場所はガナルカナル島のタサファロングの浜の沖合で、突起物にみえるのは輸送船「鬼怒川丸」の朽ち果てた船体の一部で、男性は鬼怒川丸機関士のお孫さんとのことだと書いてあるのです。

「鬼怒川丸にこの手で触れたとき、ようやく祖父を日本に連れて帰れる気がしました」とあります。

わたしは涙が止まらないままです。

社会医療ニュースVol.47 No.555 2021年10月15日