医療ばかりではなく介護や保育そして教育従事者は職業倫理を遵守するべき

園児を宙づりにするなど虐待をしていた疑いで、静岡県警が裾野市の保育園の当時の保育士3人を逮捕したというニュースがありました。暴行の疑いで逮捕されたのは、裾野市の「さくら保育園」の当時の保育士3人で、園児の顔を押したり、足を持って宙づりにしたほか、頭部を殴る暴行を加えた疑いがもたれているそうです。警察はこれに先立ち、園児への暴行の疑いで「さくら保育園」など複数の関係施設を家宅捜索しました。

園では、園児をカッターナイフで脅すなど15の不適切な行為が確認され、市は「虐待」にあたると判断したとのことですが、園はすべての職員に一連の行為について口外を禁止する誓約書を書かせていたほか、園での一連の行為を内部通報した保育士に対し園長が土下座をしていたことが分かっているというショッキングな報道もありました。

園児への暴行の疑いで元保育士3人が逮捕された事件で、裾野市長は、園長が隠ぺいしようとしていたとして刑事告発したとのことです。1歳児クラスの保護者の1人は「3人はやったことを遊び半分でやっていたかもしれないけど、わたしも子どもも一生忘れない。一生許さない。どんなつもりでわたしたちの子どもを笑顔で預かったりしてたのかな。二度と子どもに携わる仕事をしないでもらいたい」とのことですが、当然の抗議だと思います。

9月5日午前8時50分ごろ静岡県牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」で園児の河本千奈さん(3)が通園バスに取り残され、午後2時10分ごろ、車内で意識不明の状態でみつかり、熱中症で死亡したという痛ましい事件から3か月。静岡県警捜査1課は12月5日、業務上過失致死の疑いで増田立義前園長(73)ら4人を書類送検しました。県警は家宅捜索で押収した資料に基づき、園の運営実態や安全管理体制の問題点を調べていたとのことですが、幼い千奈さんの命は戻りません。冥福をお祈りさせていただきます。

同じ日に富山市の認定こども園「本郷保育園」でも虐待が行われていたという報道もありましが、人の命や人権が尊重されていない現場からの報道に接すると、改めて職業倫理について書かずにはいられなくなります。

◎全国保育協議会 全国保育士会「倫理綱領」

すべての子どもは、豊かな愛情のなかで心身ともに健やかに育てられ、自ら伸びていく無限の可能性を持っています。私たちは、子どもが現在(いま)を幸せに生活し、未来(あす)を生きる力を育てる保育の仕事に誇りと責任をもって、自らの人間性と専門性の向上に努め、一人ひとりの子どもを心から尊重し、次のことを行います。

「私たちは、子どもの育ちをささえます」
「私たちは、保護者の子育てをささえます」
「私たちは、子どもと子育てにやさしい社会をつくります」

2003年11月29日に保育士は国家資格化となり、その際「倫理綱領」として「専門職の職能集団が自らの職務を遂行できるうえで、守るべき行動の指針(約束すべき課題)を明記して公表した」ものです。医師にも看護師はじめ医療従事者の全ての国家資格職業団体、社会福祉士・介護福祉士・精神保健福祉士の団体にも、そして教師にも「倫理綱領」が整備されています。

これらの文章は、各職業の存在意義を明確に表す貴重なもので、その職業にあるものは遵守しなければならないことになっています。これをないがしろにするということは自らの専門性・妥当性・人間性を否定することと同等です。

◎犯罪者にならないという誓い それがインテグリティですよ

今年5月号の社会医療ニュースに20年1月に死去したクレイトン・クリステンセン教授がハーバード・ビジネススクールの最終講義で「どうすれば誠実な人生を送り、罪人にならずにいられるだろうか?」と問いかけことを書きました。マネジメント関連の本を読み進んでいると「罪人にならない」ことと、インテグリティをどのように理解して説明すればよいのかと考えあぐねますが、何とか誠実に真摯に、あるいは高潔に生きていかなければ、専門的職業も経営者も継続性を確保できないのです。

何度でもいいますが「罪人にならないように生きる」という姿勢は、犯罪を引き起こす可能性を低くするかもしれないのです。少なくともビジネスの世界でも「知りながら害をなす行為は行わない」のが基本です。

倫理の基本を一言でいえば「犯罪者になるな」なのではないでしょうか。医療従事者も社会福祉関係者も教師も「犯罪を犯してはいけない」のです。特に、患者さん、クライアント、児童生徒に対する犯罪は専門性・妥当性・人間性を否定した職業倫理違反として糾弾されるべきなのです。

◎何でもアリの世界でもズルはダメなのですよ

何か特別なことをいいたいわけではなく、いいたいことは「何でもアリの世界でもズルはダメなのですよ」といっているだけです。

ヒトは愚かで「多少ズルしても勝てばよい」「多少のズルは商いの常道」「正しいことしていれば利益がでない」「バレなければ大目に見てもらえるだろう」「みんながやってることなんだから、かまわない」などといってしまったり、やってしまったりすることがありますよね。少なくとも、わたしはあります。

何も起こらないことはありましたが、多くの場合、悪い結果を引き起こす原因になったことが、何度もあります。今までの人生を清算してみると、「ズルして得したことより、あの時心から対応したために危険を免れた」ことの方が多いように思いますし、「あぶく銭は身に付かぬ」とか「悪銭身に付かず」という体験をしたこともあります。

宗教的とか道徳的な話ではないことを強調しておきたいと思います。組織や企業の不祥事は、たいてい小さなズルが原因です。反省や修正は可能ですが、知りながらも長年ズルすることを黙認すると、企業自体が崩壊の危機に瀕します。

世界の企業がズルして、何社もなくなりました。読者の皆様、犯罪者にならないでください。

社会医療ニュースVol.48 No.569 2022年12月15日