このパンデミックの最中に医療が適正だと証明する必要があるのだろうか?
世界のパンデミックは、拡大傾向にあり、直近90日間でWHOに報告された感染者数は5倍以上、死亡者数は3倍以上に達した。感染者は2千万人、死亡者は70万人を越えようとしている現状で、世界の感染拡大は止まらないのだ。
今年1月30日、WHOは最高警戒レベルである公衆衛生上の緊急事態を宣言した。それから6か月が経過した8月3日の定例記者会見でテドロス事務局長は、COVID‐19について「特効薬は現時点でなく、今後も存在しない可能性がある」ことを、遠回しにいっていた。また、文藝春秋8月号にノーベル賞学者本庶佑先生が「東京五輪までに『ワクチン』はできない」と題する論説を掲載している。
国別地域別の感染拡大や重症化のリスクについては、たくさんの研究が進められ、その原因についての分析結果も膨大にあるが、因果関係が特定されているわけではなく、あくまでも相関関係が明らかにされているに過ぎない、というのが現状であるらしい。感染拡大が進行している最中に、ワクチン開発はフェーズ3の段階で効果と安全性が確認される期待は高まり、治療薬は世界の人が求めているにも関わらず、その両者とも今年中はどうも無理らしいということになると、この先も手洗い、マスク、ソーシャルディスタンシングで長期戦を戦うしかない。不要不急の外出制限や宴会厳禁は、すでに新たな日常になりつつあるが、甲子園もインターハイもオリンピック・パラリンピックも開催できないという事態は、人情として忍びない。
◎無駄な医療だという主張が支払い側の本音なのだろう
このような現状で、どうしてもいわなければならないと思うことがある。それは、常に社会保障給付費の拡大を目の敵にしているとしか思えない日経新聞7月29日5面12版の「転機の病院経営」上という記事だ。小見出しに「患者減少『元には戻らない』」「立地より質、選別加速へ」とある。内容は、一見もっともらしいが、どうしても最後の文章が気にくわない。
「コロナ患者を診る病院への手厚い支援は必要だが、診療所などの損出を診療報酬や税金で一律に穴埋めするような救済策は「過剰な医療」を復活させるだけになりかねない。」
百歩譲って「過剰な医療の復活」というのは、今までが過剰だったのが、患者減少で適正になったという意味でしかないし、何が過剰で何が不足かということは一切お構いなしだ。「診療所など」といっているので、病院の外来患者を含めていることは明らかだとしか思えない。その上で「診療報酬や税金で一律に穴埋めするような救済策」はダメと書いている。
こういった論調を「ためにする議論」と呼ぶことがある。別に大した根拠はないが、今のうちいっとかないと、変なことが起こりそうなので、今、いってみるだけいってみるということだ。誰も取り合わないということであれば、ほとんど影響はないが、ある特定集団の本音だったりする場合があるので注意が必要だ。
◎無駄か適正なのかの論戦は実に厄介な結果となるのか
病院の継続性が確保できるかどうかの瀬戸際で毎日努力を重ねている病院経験者に、これまで提供してきた医療サービスが過剰で、今後需要が回復することはありませんから、パンデミックで生じた損失は診療報酬や税金で穴埋めするは反対です。もし過剰ではなかったというなら、これまでの医療が適正だったと証明する必要があるます、と喧嘩を売られているとしたら、われわれは、どうするのであろう?
被保険者に提供されるある医療行為が適正かどうか、いいかえると過剰でもなく過少でもないかどうかということは、かなり厄介な議論になる場合が多い。今、ある医療行為といったが、例えば、各種検査や与薬が過剰か過少か、処置や手術は安全で適正か、リハビリテーションの資源投下量は効果との関係が証明できるのかどうかといった議論である。他方では、一定の地域や国別にみた場合、適正な医療が提供されているのか、それとも医療資源が足りず需要を満たしていないか、さらには明らかに過剰なのではないかという議論がある。
このような議論は、医学の世界というより経済学の分野で盛んに行われ医療費の分析とか、投下される医療費と医療の効果を天秤にかけたりしている。それはそれで興味深いが、はっきりしなければいけないことは、医療行為が過剰なのか、医療費が過剰なのか、それとも医療資源が過剰なのかといったことについて、あらかじめ明確にしてから議論することが求められる。
医療行為の需給関係というのは、医療サービスに対するニーズとの関係であるので、供給サイドの一方的な過剰行為であると証明できないことの方が多いのであろう。医療費の過剰というのは実際に提供される医療サービスの質を正確に測定できないと正確な論争になりえないので、医療費を負担することができるのかどうかという議論にすり替えられ、延々と給付と負担の議論を繰り返すことになる、といったことに終始する。医療資源の需給については、方法論としては国際比較のような方法論しかなくなってしまうという結果になりやすい。
医療が無駄か適正なのかの論戦は、不毛な議論で実に厄介な結果となる、とわたしは思う。しかし、このパンデミックは、医療は生活のライフラインで、決して無駄ではないと再び強く主張しなければ病院は生き残れない時代が来ていることを、暗示しているように思う。
社会医療ニュースVol.46 No.541 2020年8月15日