トリアージという言葉により掻き消されそうな認知症国家戦略の行方を憂慮せざるをえない?

2013年12月英国がホスト国になり、ロンドンでG8による初の認知症サミットの枠組みが構築されました。その背景には、09年2月に英国政府が公表した『認知症とともによき生活を送るLiving Well:認知症国家戦略』があります。仏国も01年に認知症国家戦略を策定し、14年からは神経変性疾患全般に関する国家戦略を策定しています。米国では、12年に国家アルツハイマー計画法に基づく計画が発表されました。

19年6月のわが国の『認知症施策推進大綱』は、このような国際的戦略の一翼を担うものです。「認知症の発症を遅らせ、認知症になっても希望をもって日常生活を過ごせる社会を目指し認知症の人や家族の視点を重視しながら『共生』と『予防』を車の両輪として推進」という基本的考え方が打ち出されました。いろいろな目標が示されていますが「本人中心で社会的関係性を重視したケアを進める」ことが共通基盤となっていることは、国家戦略でしか成し遂げられないものだと考えられます。

G8参加国(現在、露国の参加資格停止中)以外にも豪州、韓国あるいはインドネシアなど各国で国家戦略策定の取り組みが行われていることを考えれば、認知症国家戦略が先進国の潮流になっていると理解できます。日本は認知症大国ですが、医療保険や高齢者保健制度、介護保険や年金制度が整備され比較的充実した長寿社会を形成しています。認知症に関しては予防薬や治療薬の開発が進められていますが、神経変性疾患は加齢そのものがリスクと考えられていますので、たとえ安全で、有効で、比較的廉価な薬が開発されたとしても、認知症に関する諸問題が解決できるとは到底考えられません。

そこでは認知症とともに生きる人も、その生活を支える人も、そして地域や社会も創り変えていかなければならなくなります。薬を開発し、社会の仕組みを作ることは大切ですが、認知症に関する正確な理解や取り組みに対する連帯のために明確な国家戦略は重要だと確信してきました。

◎パリの医師らからの警告トリアージに対する懸念

3月28日、パリの公立病院に勤務する医師41人が「2週間以内に患者を選別するトリアージを強いられる事態に陥りかねないとの危機感を示した」と、仏国紙ジュルナル・デュ・ディマンシュに寄稿したことをロンドンCNNが世界に伝えました。

仏国感染者数は470万例を超え、米国、ブラジル、インドに次いで世界で4番目。死者数も9万6千人を超えています。3月31日現在の過去7日間新規感染者数(人口百万人当たり)では、仏国が4076人で世界のトップです。もし、この数字を日本の人口に当てはめれば51万人以上で、過去1年間の日本の感染者総数48万人程度であることと比較すれば、感染大爆発が起きていることがよくわかります。ちなみに、伊国2382、米国1351、英国491、日本は111人ですから、仏国のICUなどの病床が崩壊寸前だということは容易に想像できると思います。

昨年3月から4月のパンデミック第1波の際に、仏国や伊国、スペインの一部の病院で重症者数が急増して、高齢者や基礎疾患のある重症者がICUに受け入れられず死亡する事態が報道されました。当時、医師たちはトリアージに関する明確な指針や規則がないまま、現場で苦しい判断を迫られたとのことで、欧州各国で「トリアージの基準」が検討されてきました。

ナチスの過去から未だ自由ではない独国の複数の医学団体は「COVID-19パンデミックに関連する、救急・集中治療キャパシティーの配分の決定についての臨床的・倫理的提言」というタイトルの文書を公表しています。ICUへの優先順位をつける基準として、肺機能の低下、臓器不全、敗血症、免疫不全など、客観的な尺度を用いるよう求めています。例えば、75歳以上の認知症の人はどうせ助からないとか、外国人はICUに入れないという線引きの仕方は禁止です。「ある人の生命と、別の人の生命を天秤にかけて、どちらに価値があるかを比較することは、憲法によって禁じられている」と強調しています。

◎トリアージが再開されてしまうと認知症と生きる人々はどうなるの

トリアージtriageというのは、医療スタッフや医薬品あるいは施設・設備が制約される中で、一人でも多くの傷病者に対して最善の治療を行うため、傷病者の緊急度に応じて、搬送や治療の優先順位を決めることだと教えられてきました。それは、大災害の発生と大規模な事故による緊急事態であれば必要なことです。

しかし、パンデミック宣言後1年間が経過した時点で、対応を誤ったり、準備を怠ったり、経済を優先することにより再び大流行を招き、医療崩壊が起き、その結果、死亡しなくても済んだ人が死亡するということになれば、それは災害でも事故でもなく人為的なミスであり、政治の責任として糾弾されることになるはずです。

認知症国家戦略は、人類への挑戦であるとともに、社会の分断を食い止めるための試金石ではないかと長年考えてきました。このニュースを追かけているうちに、憂鬱な気分から抜け出せなくなりました。医療崩壊が起き、普段なら助かる人が治療や看護が受けられなくなり、認知症と生きている人々が死亡することになれば、認知症世界戦略は見掛け倒しだったいうことになり、憂慮しています。

社会医療ニュースVol.47 No.549 2021年4月15日