バロン西の馬術金
馬術でのメダルは92年ぶりという報道があった。1932年ロサンゼルス大会の馬術障害飛越競技の金メダルは、今でも誇りだ。習志野騎兵第16連隊附陸軍騎兵西竹一中尉との愛馬ウラヌスの金メダルは、アジア諸国初で、日本勢として唯一の馬術競技での金メダルだった。西は、上流階級の名士が集まる米国の社交界では「バロン西」と呼ばれ、ロサンゼルス市名誉市民にもなったそうだ。彼は、1912年、10歳で父の跡を継ぎ当主として男爵となり、その後陸軍将校としてのキャリアを積む。1945年、中佐となり硫黄島守備隊として小笠原兵団(栗林忠道陸軍中将)の戦車第26連隊長として奮闘し、3月に戦死により陸軍大佐に進級した。
硫黄島の激戦で米兵が「バロン西、出てきて下さいと何度もよびかけた」という話を祖父と父から何度も聴いたので、自分も大人になったら馬術をしたいと夢見たことがある。ただ、祖父と父は「米兵は鬼ではなく、スポーツマンの信義に篤い」ことを教えたかったのではないかと思う。沢山あったバロン西に関する本や資料は、どこかにいってしまったが、思い出だけは忘れない。
社会医療ニュースVol.50 No.589 2024年8月15日