タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦
ゲーテとシラーの2人像が街の誇りになっているドイツのワイマールの東側に音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生まれたアイゼナハがあります。
この街に中世ドイツの芸術文化を伝える12世紀に建造されたヴァルトブルク城があり、その昔「歌合戦」が行われた大広間やルードヴィヒ4世に14歳で嫁いだハンガリー王女エリザベートの間、そして、16世紀初頭に僅か10カ月でラテン語の新約聖書をドイツ語に翻訳したマルティン・ルターの机と椅子がある部屋があるのです。
このワルトブルクの城で1206年6人の徳を備えかつ賢明心得のある男が集まり、歌を競いあったという故事があり、後に、「ワルトブルクの歌合戦」として語り継がれました。この話とは別に、ドイツ騎士団団員の「タンホイザー伝説」があります。タンホイザーは実在の人物で、異教徒で官能のヴェーヌスが住まうヴェーヌスベルクの洞窟で1年間愛欲の快楽にふけった彼が、良心の咎めによりヴェーヌスのもとを去り、巡礼者となりローマ教皇ウルバヌスに懺悔します。しかし、教皇は自分のもつ「木の杖に新緑が出ぬ限り救われぬ」と宣言します。絶望したタンホイザーはヴェーヌスのもとへ帰ります。その後、教皇の杖に芽が生え、彼の行方を探させますが、みつけだされなかったという15世紀の物語です。
この2つの物語を題材にしたのが、リヒャルト・ワーグナーのオペラ『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』です。
中世ドイツの騎士詩人タンホイザーは、ヴェーヌスベルクでヴェーヌスとの愛欲の日々に飽き「快楽だけが私の真の欲求ではなく、人間は変化を求めるのだ」といい、あなたの愛の奴隷であるより「たとえ死の危険があっても自由が欲しいのだ」と叫びます。その上、彼が「わが救いは聖母マリアにある」と叫ぶと、ヴェーヌスの世界は消え去ります。
舞台は美しい谷間に変わり、ローマに向かう巡礼者が歩いています。そこにヴァルトブルク城に仕える旧友の騎士ヴォルフラムが熱心に祈っているタンホイザーをみかけ、かつて彼の恋人だった城主の姪エリザベートのために戻ってくるように説得し城の騎士の仲間に戻ります。
エリザベートはタンホイザーの帰還を喜び、愛を伝えます。騎士たちによる歌合戦の開催が決まり、愛の本質を明らかにした騎士の勝者はエリザベートから褒美を取らせることになります。他の騎士が清らかな純愛を歌うのに対し、タンホイザーは官能の愛を歌い上げ、ついにはヴェーヌスベルクでの滞在を告白してしまいます。
騎士たちはタンホイザーに剣を向け、エリザベートが彼の命乞いをします。タンホイザーは罪を清めるため、ローマへ巡礼の旅にでます。
やがて帰還したタンホイザーは、ローマで罪が許されなかったと告白し、ヴェーヌスのところに戻ろうとします。ヴェーヌスが迎えにあらわれた時、ヴォルフラムが「エリザベート」の名を叫ぶとヴェーヌスは消え去ります。エリザベートは自らの命と引き換えにタンホイザーの許しを願って亡くなっていて、その葬列のエリザベートの棺の前でタンホイザーは息絶えてしまいます。
ローマからの巡礼者たちが、奇跡の証拠を手にして、タンホイザーの罪が許されたことを告げます。人々は神の恩寵をたたえて、幕になります。
途切れることがなく続く音楽が素晴らしく、ほとんどの歌手は客席側に向きません。純愛と愛欲、情念と肉体、信仰と逸脱、堕落と救済の世界が縦横無尽に入れ替わる舞台は、人間の本質に問いかけてきます。ワーグナーの真骨頂が発揮されるのです。
社会医療ニュースVol.50 No.583 2024年2月15日