冷貧からの解放欲が≪マノン・レスコー≫
1924年11月29日、喉頭ガンの放射線治療のため訪れていたブリュッセルで、巨匠ジャコモ・プッチーニは≪トゥーランドット≫を未完成のまま65歳の生涯を閉じました。没後100周年ということで今シーズンは≪ラ・ボエーム≫≪トスカ≫≪蝶々夫人≫が世界各国で上演予定です。
12月のパリの屋根裏部屋で詩人ルドルフが寒いので貴重な原稿を燃やして暖を取る情景が≪ラ・ボエーム≫にありますが、プッチーニ自身「食べる物といえばパンと豆とニシンだけで、あまりに寒いので、私は暖をとるために、実際に初期の習作の手稿譜を燃やしたものだ」と語っていたと伝わっています。
5歳で父を失ったプッチーニは、オペラ創作のため31歳まで、借金しながらなんとか生きてきたのです。冷貧はこれでもかと襲い狂い命を落とすこともありますが、逆に命や創作の原動力にもなるのでしょう。
お針子ミミ、貧乏な羊飼いの娘トスカ、没落士族の娘蝶々さん、奴隷の若い娘リュウは、貧乏暮らしというより極貧の生活体験をバネに真剣に愛に生きようとし世を去っていきます。その巧みなストーリは悲しすぎますが、愛や歌や素晴らしい音楽があるので観客は歌劇場に引き寄せられるのです。
1893年2月1日、トリノで初演されたプッチーニ第3作目となる≪マノン・レスコー≫は、それまでの莫大な借金を全て精算できるほどの大成功だったといいます。この作品の原作は1731年に出版されたアベ・プレヴォーの『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』で、騎士デ・グリューは美少女マノンと出会い駆け落ちしますが、彼女を愛した男たちは嫉妬や彼女の欲望から破滅していき、結局マノンは追放処分となり、デ・グリューも付き添って行くのですが、ついにマノンは寂しい荒野で彼の腕に抱かれて死ぬというものです。
この物語を台本作家で構成力のあるルイージ・イッリカと台詞を美しい韻文に整えるジュゼッペ・ジャコーザの協力をえて、男たちを引きつける美しいマノンの身勝手さや欲深さ、それでも一途に愛するデ・グリュー、彼女を金ズルにする兄、マノンを囲う大金持ち老人ジェロンテが人間の愛欲と堕落を織りなします。
見事なオーケストレーションが何とも退廃的な雰囲気を醸し出しつつ、ジェロンテ以外はどこにでもいるような若者です。北フランスのアミアン、パリ、港町ル・アーヴル、そしてニューオリンズの荒野での歌声はストレートな感情を伝えてきます。
第4幕、デ・グリューの腕の中で「もうしゃべることもままならない。愛しているわキスして。わたしの後を追ったりしないでね。昔のマノンはキレイだったかしら。わたしの罪は忘却が消し去ってくれるでしょう。でも私の愛は死なない」といい終えて息を引き取るマノンを誰も責めることはできません。単に贅沢したいし愛し合いたいという人の思いは罪ではないのですが、些細な過ちが運命を変えてしまう人生が描かれているのです。
イッリカとジャコーザそしてプッチーニのトリオは、その後≪ラ・ボエーム≫≪トスカ≫≪蝶々夫人≫という不滅のオペラをつぎつぎに世に送り出します。20代の冷貧の体験は、ヴェルディやワーグナーが築き上げてきた総合芸術としてのオペラを一歩進めたのだと思いますが、プッチーニの死は衰退のはじまりを予感させるものだったのかもしれません。
どう考えても≪マノン・レスコー≫には、プッチーニのオペラのエッセンスが全て注がれているし、この作品が彼にとって大きな転機であったのだと思います。オペラ愛好者にとってもこの作品は、宝物なのです。
社会医療ニュースVol.50 No.591 2024年10月15日