おどろおどろしいサロメはいかが
アイルランド出身のオスカー・ワイルドが仏語で書いた詩劇『サロメ』が1893年にパリで出版され、それをヘートヴィヒ・ラハマンが独語に翻訳しました。この翻訳本からリヒャルト・シュトラウスが1幕の楽劇として作曲したのが《サロメ》作品54です。
1905年12月9日、ドレスデン宮廷歌劇場で初演、空前の反響を呼びセンセーショナルを巻き起こしました。新約聖書を題材にしていることや、残酷な内容が反社会的とされ、封建体制を維持するため取締を強化していたウィーンや英国では上演禁止になりましたが、2年ほどの間にドイツなどで40回以上公演され大成功しました。
紀元30年ごろ、ガリラヤ湖に面した宮殿での宴を覗きみした衛兵隊長ナラボートは、サロメの美しさに心を奪われています。そこへ地下の空の古井戸に幽閉されている預言者ヨカナーンの声がします。
ユダヤの王エロドは、自分の兄である前王を殺し妃と略奪婚し、妃の娘である王女サロメに魅せられて、宴の席で情欲むき出しの視線を彼女に向けます。サロメは耐えられなくなり庭にでると古井戸から不吉な叫び声が聞こえてくるのです。彼女は衛兵たちを使い無理やり井戸からヨカナーンを引きずり出させてしまいます。一目見てサロメは彼に恋心を感じますが、サロメの母ヘロディアスの淫行を非難し彼女の忌まわしい生い立ちをなじるばかりでサロメは相手にされません。自ら古井戸に戻り愛を拒まれたサロメは、仕返しにヨカナーンに口づけすると固く誓うのです。
宴に戻ると、エロドはサロメに突飛に踊れといいだします。サロメが断ると「王国の半分でも何でも望むものをつかわす」と誓います。ヘロディアスは娘に踊るなといい続けますが、サロメはこれに応じて7つのヴェールの踊りを妖艶に踊り、返礼としてエロドに銀の大皿に載せたヨカナーンの生首を所望するのです。預言者の力を恐れて断るエロドですが、サロメは頑として合意しないので、王はヨカナーンの首をサロメにとらせることにします。銀の皿にのって運ばれてきたヨカナーンの首を狂喜して抱えながらサロメは「お前もまともに私をみたら私を愛したろうに、この私の欲情をどうしてくれる」と執拗にグダメキます。ついに、唇に接吻し「この苦さは愛の苦さ、接吻したわよ」と歌い続けるのです。これをみていたエロドは、恐れおののき「あの女を殺せ!」と命じ、彼女は帰らぬものとなり幕となります。
サロメの物語は、世界中の芸術家にインパクトを与えます。1894年出版のオスカー・ワイルド『サロメ』に悪魔的な鋭さを持つモノトーンのペン画を描いたのは、オーブリー・ビアズリーです。1909年公表のグスタフ・クリムトのサロメをはじめ多くの画家が題材としました。
この作品は20世紀を代表するオペラであるとともに、尊い芸術文化作品です。そして、フリードリヒ・ニーチェの著作にインスピレーションを得て作曲された《ツァラトゥストラはこう語った》作品30は、叙事詩的SF映画『2001年宇宙の旅』の曲としても多くのファンを魅了しています。
『サロメ』を初めて和訳したのは森鷗外で1909年に出版されました。13年12月日本で最初に芸術座による帝国劇場での上演された戯曲でサロメ役を演じたのは松井須磨子で、絶賛されたと記録されています。60年と71年には、三島由紀夫の演出で上演されています。オペラでの日本初演は、62年4月24日のフェスティバルホール(大阪)でした。
なお、シュトラウスのオペラは、全世界で数多く公演されていますが、《サロメ》はどことなくワーグナーの影響を感じますし、《ばらの騎士》はモーツアルト的優美さがあると思います。
社会医療ニュースVol.50 No.593 2024年12月15日