バッハの『マタイの受難曲』
バッハの『マタイの受難曲』を聴くと外に向かっていた意識が、内に向いてくる気がします。この曲は『宗教音楽の頂点』と評価されていますが、学生時代には理解というか、どうもお気に入りにはなりませんでした。
それが10年前の311以後の1週間ぐらい、心がかきむしられるような感覚からの救いを求めてこの曲を毎日かけました。この1年間は、後期高齢者の死亡や感染再拡大が招く混乱を冷静に受け止めたいという気持ちが『受難曲』を選んでいるのではないかと思うことがあります。
人に直接というかリアルで会わなくなり、1人で何か作業している時間が長くなったせいか、それとも単に加齢したせいなのかわりませんが、同じ曲が変わったように聴こえたり、新たな発見があることがあります。
文人の多くが、読み手の年齢の変化により、同じ本を読んでも「感じ方が変わる」と書いていることを思い出します。同じ本も同じ曲も、受け手であるこちらが変化することで、曲や文章が変わったような錯覚が起きるらしいのです。あの時は絶対だと信じていたことが、今一度考えてみると「若気の至り」だったと、今頃反省しても遅いことばかりが思い出されることもあります。
その昔、確か「老人の心理」とかいう本に書いてあったことが起きているかもしれないとどこかで思いつつ「加齢はしても老人にはまだなっていない」と強がっているのも滑稽です。
(社会医療ニュースVol.47 No.547 2021年2月15日)