ドン・ジョヴァンニは世界の人気者か?
若い小柄な先生は1年いただけで東京に行ってしまった。その少し前だが、文庫の話をしてくれた。オビの色によって種類が区別してある。
「イケウチ君、高校へいったら赤オビを全部読んでごらん」
名指しされたとき、全身がふるえるほどうれしかった。実をいうと私はその女の先生に、ひそかに恋をしていたのである。
以上は、池内紀のエッセイ「白と黒と赤」の一部です。1989年出版の『もうひとつの話』〈ちくま文学の森・別巻〉に収録。多分、この話は1953年姫路市の中学校のどこかの教室でのことだったのではないかと想定できます。
岩波文庫の「赤」は外国文学の訳本です。この若い先生がイケウチ君に声をかけていなければ、池内紀さんはドイツ文学者になっていなかったのではないか。だとすれば彼の、百冊以上の著書を誰も読むことができなかったと考えてみると、この先生に感謝です。
その岩波「赤」に『セビーリャの色事師と石の招客』があります。この短編はティルソ・デ・モリーナという修道士が1630年に書いたもので、放蕩者の色事師は地獄に落ちるという話です。その後モリエール、モーツァルト、バイロンなど沢山の人々によって変奏されてきた「ドン・ファン」の底本ということになるのでしょう。
モリエールの『ドン・ジュアン』1665年は無神論者の口先男という設定で、当時、人気を博した芝居だったと書いてある本が多いです。女たらしの話としては、やはり井原西鶴『好色一代男』1687年を思い描く人も多いかもしれませんし、何を不謹慎な、と毛嫌いする人もいると思いますが、17世紀の封建社会のアダ花話だと思えば腹も立ちませんよね。
そういえば、英仏ではドン・ジュアン、ドイツではドン・ファン、イタリアではドン・ジョヴンニと発音されますが、モーツァルトと台本作家のダ・ポンテは1787年謝肉祭のヴェネツィアで初演された作曲ジュゼッペ・ガッツァニーガ、台本ジョヴァンニ・ベルターティの「ドン・ジョヴァンニ~石の招待客~」の筋書きを踏襲したというのが定説です。
深夜、乙女ドンナ・アンナの寝室に忍び込んだ男は、ドンナに騒がれ、それを聞きつけた父親の騎士長を卑怯なやり方で殺してしまう。ある日、墓地で騎士長の石像見つけた男は「俺の晩餐会こない」なんて軽口をたたく。騎士長の石像は男の屋敷にあらわれ「悔い改めろ」と説教するものの、男は拒絶、知らんぷりを決め込む。そして、その石像に引きずられて地獄に落ちていくという大衆演劇のネタに歌と曲をつけたのがモーツァルトのドン・ジョヴァンニということになります。
歌も曲も素晴らしいし、特に序曲は何度聴いても「地獄は怖いぞ」といっているように感じますし、一瞬で日常の生活の連続から切り離されて若い気まぐれで、無節操で、どこまでもふしだらな男の話にいざなってくれます。
ドイツロマン派の詩人ホフマンの『ドン・ファン』1813年では、ドンナ・アンナがこの男にほれ込み、彼の魂を救済するという物語になりました。イギリスの詩人バイロンの『ドン・ジュアン』では、理想を求めて世界中を永遠に放浪するというロマン派の理想形態のひとりとして描かれます。このほかにも世界中でこの色事師の物語は時代とともに漂流してきたという事実があります。オルテガ、カミュ、バーナード・ショー、ブロッホ、小林秀雄などの文化人たちがこの男を人気者に仕立て上げています。
女と男の物語には、各種の形態があり楽しめますよね。ただ、あまずっぱいあの初恋の話以上の感動は味わえないかもしれませんね。
社会医療ニュース Vol.49 No.573 2023年4月15日