パンデミックで民主主義の危機が叫ばれるが社会保障が民主主義を支えているのですよね

日本国内の政治体制は議会制民主主義であると同時に、ポピリズム(大衆迎合主義)的政府の意思決定が、時として歯がゆいと感じたり、時として和を優先する日本文化に根差しているようにも思います。戦後75年を経過した日本の民主主義は、それなりに定着し、パンデミックの危機下でも政府が強権発動することもなく、比較的穏やかに対応しているというか、どことなく頼りがいがなく、皆様いいたい放題発言しているようにみえます。

バイデン大統領は、米中対立が「専制主義(autocracy)」と民主主義との対立だと主張しています。「専制」とは、君主や独裁者などの個人、あるいは一階級、一政党、軍部などの幹部からなる小集団が、政治を支配している状態のことで、民主主義、議会主義、法の支配などという原則に対立することという意味なのでしょう。社会主義国の共産党一党支配とか、独裁軍事国家が専制であることは確かですが、「政治の世界」で1人の個人あるいは少数の集団に権力を集中して政治的共同体の安全を保持することが、民主主義国でもありえます。たとえば、戦時期には、英米仏国などでも「戦時挙国内閣」を組閣して、一時期、権力を集中したことがあります。しかし、この形態は、戦争が終結し平和な状態に戻れば、ふたたび元の議会制民主主義に基づく政治に復帰するから専制主義とは異なることなのだと説明されてきています。

◎福祉社会の建設と民主主義は必要不可分なのではないか?

中国は名指しで「専制主義国家」と呼ばれて、バイデン大統領に敵意を示しているようなポーズは取るものの、専制ではないと反論できていないようです。民主主義であれば専制主義ではないのではないかといわれても、フィリピンのドリゴ・ロア・ドゥテルテ大統領や、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、国民の支持をえて専制政治を進めているようにみえます。麻薬撲滅やワクチン普及のためであれば、専制的にやらなければ目的が達成できないこともあることを、否定できないでしょう。

人口3億人を超える世界最大の民主主義のリーダーでもあるインドのナレンドラ・モディ首相は、感染蔓延防止策として厳しいロックダウンや不法外出者に対する警察官による警棒使用による取り締まり強化を続けてきましたが、3年ごとに開催されるヒンドゥー教の祭り「クンブメーラ」の開催を許可したことから、感染爆発を引き起こしてしまいました。多様な民族・言語・宗教の大国を運営するためには、有事には専制主義的にならざるをえないことは理解できます。しかし、社会保障制度に限っては、制度はありますが開発途上で、身分格差や所得格差が拡大し民主主義を守るだけでも大変な努力が必要なのです。どうしたら民主主義的社会保障制度ができるのかとか、制度をより民主主義的に運営するにはどうするかが問われ続けられているのでしょう。福祉社会の建設には社会保障制度の整備が欠かせませんが、専制主義的政治体制で福祉国家を目指してもどうしても限界があり、北欧型の福祉国家の給付水準に到達できません。

民主主義や福祉社会の建設それを支える社会保障制度について、なんだかんだと考え続けてみると「社会保障制度が民主主義を支えている重要な要素なのではないか」という月並みな結論に達してしまいました。つまり、社会保障制度の整備による福祉社会の建設には民主主義が不可欠で、社会保障制度を充実させることは、多分、民主主義を強固なものにするのに役だっているのだということを、改めて確認することが必要だと思うのです。

◎専制主義的な方が良いとの判断が独裁的政治を容認する危険!

今回のパンデミックで「専制」が必要なことがあるのだと考えるようになった人は少なくないのではないでしょうか。専制を強制と言い換えてもそれほど間違いではないと思います。「行動を自粛せよ」といえば、文句もいわず自粛する社会は、他国の人々からみれば「不思議な国」なのでしょうが、多様な民族・言語・宗教が混ざりあっている世界では、通用しないことが多いのです。マスクをしない人がいるのが普通で、全員が従うのは何らかの強制が働いているからだと考える人たちも多いのでしょう。度重なる緊急事態宣言の発動で、政府の指示に従わない人が増加しているのは確かです。

感染が収まらないのは、指示に従わない人が増えたので、もっと罰則を強化したらどうかと考えることも可能です。逆に行動を制限するなら相応の金銭が支払わられるなら従うという人もいるでしょう。年金受給者は年金だけでは生活できませんが、我慢していれば取りあえず安全だと判断しているのかもしれません。政府の指示に従えば生存できなくなれば、指示に従わない人は急増するはずです。だから、より強い強制が必要だと軽々に判断してしまうと取り返しがつかない間違いになる恐れがあるのです。

昔話ですが、「専制」と「独裁」という概念を巧みに使い分けて、第一次世界大戦後の混乱期にあったワイマール共和国を、大統領に権力を集中させ「強いドイツ」を復興させよとした歴史があります。1人の人間に権力を集中させる独裁体制以外にはないという選択を、当時のドイツ国民はしてしまいました。日本でも政治は「大政翼賛会」、産業は「産業報国会」、医療は「日本医療団」にまとめられ国家総動員法によって大東亜戦争に突入することを選択したのです。

このことを知っている人々は、国家権力による強制や専制ということに75年間抗ってきたのですし、その選択は正しかったのではないかと思います。パンデミックは百年ぶりの有事にほかなりませんが、日本の社会や政治はあまりにも有事対応力不足であるということが露呈しまったのが現状なのでしょう。わたしは、強制は一時的最低限の選択として、今後、粘り時良く有事法制を整備して欲しいと考えていますが、絶対に専制主義の道を歩まない選択をし続けたいと思うのです。

社会医療ニュースVol.47 No.550 2021年5月15日