医療福祉や子ども子育て支援に役立つ社会保障経済学を確立して欲しいのだ
失礼な呼び方なのかもしれませんが、65年から70年生まれの方で昭和末期のころ大学を卒業して社会人になった人々を「バブル世代」と呼ぶことがあるそうです。今は51歳から57歳で社会の中枢を担われている世代の方々なのです。団塊世代のつぎが「しらけ世代」そのまたつぎが「新人類世代」と揶揄されていたことを思えば、頼もしい人々が多いような印象が、わたしにはあります。
80年代後半から始まり90年代初頭に崩壊したといわれているバブル景気とかバブル経済という呼び方は、90年以降に流行りだした言葉です。89年12月29日に日経平均株価最高額が3万8915円を記録したものの、90年3月には3万円を割り込み、どうも経済の先行きがわからなくなり崩壊したと判断されているようです。
戦後の日本経済は右肩上がりで90年にはGDP世界第2位、1人当たりGDPでも世界8位という経済大国になりました。国土交通省の公示地価(基準地価の)総平均の推移をみると、85年から約5年間で2.5倍になり90年初頭をピークに10年後に4分の1にまで下落し、現在でも3分の1程度の水準で推移しています。
90年以降、失われた10年、20年、30年などという言葉が、独り歩きして今日までの日本の経済を悲観的に評価する雰囲気語のように使用されています。だだし、バブル崩壊後10年間を眺めてみると日本経済の低迷が続き、結果として「失われた10年」だったということのようなのです。
アバウトな話ですが、年利2%で複利計算すると36年後に2倍になります、2.4%ですと約30年で倍になります。物価上昇でも賃金上昇でも地価上昇で何でも同じです。人口が毎年2%減少していると約36年後には半分になるのです。例えば、ドイツの物価はこの30年間で2倍になり、中国では4倍以上ですが、この間、日本の物価は1.2倍以下で物価も賃金もほとんど上昇しない状態だったのです。中国の人が日本で買い物すれば30年前の4分の1の価格と認識し、来日したドイツ人が「半値に近い」と喜んでいるこれが理由だったのです。
もちろん、こんな単純なことではなく為替も介在するし、世界経済の比較は容易でないということは十分理解しています。ただし、食料自給率が低い日本では大豆も小麦も輸入していますので、物価が上昇するはずなのにそれほどでもないのは製品値上げできないのであの手この手で企業努力して、中には利益率を確保できず低迷している食品加工業も少なくないそうです。
◎何の役にも立たない新自由主義経済学?
ジョン・メイナード・ケインズは、経済学は「モラル・サイエンス」であって、自然科学とは異なると強調していたのだと、大学で経済学の先生から習いました。よく理解できていませんでしたが、このことがきっかけでマルクス経済学より近代経済学の方がなんとなく役に立ちそうだと思い込んだような気がします。70年代の経済学部の大学生はマル経か近経かという選択肢というか「踏み絵」みたいな単純な論争に巻き込まれていました。厄介なことに教授陣も2分されており、正直いってどちらが正しいのかということについて学生が判断できるような議論ではありません。90年12月ソ連崩壊は「やっぱりマル経」がダメという烙印が押されてしまいました。
80年代から急激に支持をえたのが、ケインズを批判した自由主義学者のF・A・ハイエクであり、「資本主義と自由」を書いたミルトン・フリードマンでした。後に新自由主義経済学と呼ばれ主流となった学者たちは市場原理的考え方を強調するばかりで、所得分配の不公正をはじめ社会正義に関わる問題を軽視する風潮があるように思えてなりません。
この30年間に議論されてきた公務員の削減、民営化、民間委託、労働者の非正規雇用、病院への株式会社の参入問題、社会福祉法人制度改革などのすべての議論は、新自由主義経済学者が仕掛けた制度改革であったといってもかまわないと思います。数少ない正統な社会保障学者で新自由主義経済学者はそれほどいないと、希望的観測から思います。日本には社会的共通資本の整備の必要性を強調した宇沢弘文先生の業績があります。
先生は64年にシカゴ大学経済部教授に36歳で就任した数理経済学者で新古典派経済学理論を統計的に解明した業績は、社会保障を考える者たちへのエネルギー元です。新自由主義経済学が社会保障の確立や発展に寄与した事実はないように思えてなりません。さらに、米国で主流の自由至上主義は、今でもオバマケアを認めず、貧困者に冷たく差別を助長しているのです。
◎社会保障を支える正当な経済学研究を奨励しよう
今、大学生に経済学部の人気がありません。多分、経済学そのものの学問的地位が低下しているのではないかと心配しています。経営学について考えている外様としては、それでも社会保障を支える民主主義的な経済理論が必要だと痛感しているのです。
経営学者の仲間たちとは「買い手よし、売り手よし、世間よしの三方よしだ」などと話し合うことが多いのですが、社会や地域で暮らしている人々に害が生じるような経済学ではなく、多くの人々が平和で暮らしに困らないような経済理論のゆるぎない構築をお願いしたいのです。
社会医療ニュースVol.47 No.555 2021年10月15日