消費者物価上昇率を注視するのは社会保障全体の姿を考えるからだ

総務省は毎月「消費者物価指数」を公表しています。報道などで取り上げられる消費者物価上昇率では、すべての調査品目の動きを反映した「全国総合指数」の数字が一般的です。この指数は経済指標としてばかりでなく、公的年金の給付額、児童扶養手当額などを物価の動きに応じて改定するための算出基準としても用いられていますので、生活に直結している大事な指標といえます。

48年前のオイルショック時代に「狂乱物価」と呼ばれましたが、消費者物価前年度比は73年に11.7%、74年23.2%、75年が11.7%、76年9.4%でした。わずか5年間で物価が約2倍になるという体験をしました。30年前の91年が3.3%で、92年は1.6%となりそれ以降は大きな変動がなく最高1.8%、最低マイナス1.4%の範囲内で上下してきました。

経済成長には消費者物価の上昇が伴います。日本ではインフレーションになり物価が上昇することは悪いことだという神話が普及していますが、実は物価も上昇しないし賃金も変わらないということが、経済成長していないのと同様だという理解にはつながりません。もちろん、賃金が上昇しないのに物価だけが上昇すれば生活が苦しくなるので、同時に引き上がるようにしてもらうしか方法がないのです。

年金受給者にしてみると消費者物価が変動しない限り年金額は変わらないので、物価が上昇しない方が安定した生活ができるように思えるのかもしれませんが、国と地方の負債を合わせると千百兆円を超えGDPの2.2倍という世界最大の公債残高の国で、このまま経済成長できなければ国家財政は破綻してしまいます。だから、経済成長は必要なのです。

政府が2%の物価上昇率が必要だと掛け声をかけても、いえばそうなるわけでもないし、日本国内だけで考えても、経済の国際競争の世界では負け続けているというのが現状です。経済学研究者の研究報告書や経済関係の報道をみていると、何を読んでも過去のことを分析しているというものばかりで、将来予測とか明確な根拠を示しこうなるだろうといった文章に触れる機会が減少しています。さらに気になるのは、何を読んでも後ろ向きのことばかり書いてあり、苦笑することはあっても心から喜べないので読む気にならなくなっています。

それでも、物価上昇率とか経済成長は社会保障に不可欠ですので、消費税や法人税を引き下げることも引き上げることもできない政治状況では、残る方法は国民が連帯して経済を押し上げるという機運の醸成と、何よりも消費拡大することなのではないでしょうか?わずかな年金で貯蓄もあまりない高齢者は多数いると思いますが、それ以上に貯蓄もある程度あり、何とかやりくりして生活をエンジョイしている健康な高齢者も決して少なくありません。高齢者が金融資産をため込み社会保障の財源になっている消費税を引き下げろなどと本当に思い込んでいるのであれば、この国の発展はもはや望めません。

◎若者が夢を持ち勉強楽しく愉快な社会へ

いつの時代にもどこの国でも豊かな社会を夢見ている若者がほとんどです。高齢者誰もが次世代にエールを送り、自らが努力して築き上げてきた社会をつなげるために物心両面で支援することこそが必要です。若者に負担を押し付け自分たちの世代、あるいは自分だけが良ければそれでいいのだと思っているとしたら、若者と高齢者の分断が進むのではないかということを真剣に心配しています。何しろ政府には、子ども子育て支援を強力に進めて欲しい。特に、出産、育児、保育、小学生への支援をきめ細やかに政策展開して欲しいのです。

中学高校生には友達と夢を語り楽しく愉快に勉強して欲しいし、そのためにはいじめや暴力は許されないことであることを、児童生徒も教員も保護者達も地域も高齢者も協力して学び合うことが必要なのだと思います。今、人権とか各種ハラスメントに対して関心が集まり、人が人にやさしい社会にしないと結局は自らも幸福になれないという、単純明快なことを確認しないと学校も会社も社会もどうにもならなくなるのではないかということに気づいている人たちが増えているように思えます。

失われた30年とかいってみても結果でしかありません。経済成長は必要ですが、成長を支えるのは若者たちの活躍であり、その原動力はどう考えても夢の実現なんだと思います。青年は大志を抱けといいますが、何よりも楽しく愉快な仲間がいないと生きていけませんよね。どう考えても高齢者は若者に対してできることをできるだけ提供するということを心がけましょうよ。大したことでもないし、大金がかかるわけでもありませんが、自分のことばかり考えないで、回り回って若者に助けてもらっているわけですのに感謝だけでも伝えましょう。

◎社会連帯と書き続けるのは思い込みがはげしいから

英語圏の国を中心に「自由至上主義」「自由放任主義」と訳されたりするリバタリアニズムという思想が巨大な勢力になりつつあります。個人的自由を尊重しますが経済活動の自由を重視せず経済活動への介入や規制あるいは富の再分配を擁護する考え方が「リベラル」逆に個人的自由へのある程度の介入は認めるが経済的自由は尊重するのが「保守派」なのだそうです。個人的自由も経済自由を極端に尊重するのがリバタリアンで、逆が「権威主義者」や「全体主義者」です。詳しくは森村進「自由はどこまで可能か」講談社新書1542をお読みください。

思想信条の自由はとても重要ですが、とことんまで自由を追求するとマスクとかワクチンも外出制限だって個人の自由という観点から反対、銃の所持も当然だということです。

毎回のように社会保障は社会連帯を制度化したものであり、社会保障が社会連帯を促進されるような政策展開が必要だと書き続けるのは、単なるわたしの思い込みに過ぎないのではないかと反省することをありますが、誰かがしつこくいい続けないと世の中が悪い方向、例えばリバタリアンが増加するのではないかという危機感です。

社会医療ニュースVol.47 No.555 2021年10月15日