失われた30年に終止符を打つためには大同小異を乗り越えて連帯して進もう

10月31日はハロウィンでしたが、今年は世界の分水嶺として記憶されるかもしれないのです。30日、ローマでG20サミットが開幕しましたが、中国とロシアの首脳は現地入りせず、衆院選と重なる岸田首相はオンライン参加で、翌日閉幕しました。サミットはバイデン大統領と中国の対決色が色濃く、解決の糸口が全くみえません。

31日からグラスゴーで国連気候変動枠組条約締約国会議(COP26)が開催されました。15年12月、パリで開催されたCOP21においては20年以降の温室効果ガス排出削減等のための新たな国際枠組みとして、パリ協定が採択されました。この合意により、京都議定書の成立以降長らく日本政府が主張してきた「全ての国による取組」が実現しました。また、SDGsのゴール13は「気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる」とされています。

COP26では英国の議長は気温上昇を1.5℃に抑えるために、1)石炭の段階的廃止の加速、2)森林破壊の削減、3)電気自動車への切り替えの加速、4)再生可能エネルギーへの投資奨励を重視しています。石炭廃止について、英国が強く主張していますが、岸田首相は石炭発電には多分意識的に触れられませんでした。

日本の脱炭素戦略とパリ協定は密接に結びついています。パリ協定において日本を含む締約国は、「世界の平均気温上昇を2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える努力を追求する」ために「今世紀後半に人為的な温室効果ガスの排出量の実質ゼロを達成する」ことに合意しています。菅前首相は昨年10月の所信表明にて「50年に温室効果ガスの排出実質ゼロ」を宣言したことや、日本の「30年度に13年度比で46%削減し、50%の高みに向けて挑戦する」という目標は、パリ協定の目標を受けて設定されています。

石炭はゼロにしたいが原子力には国民からの心理的抵抗があり、再生可能エネルギー化に手間取っている現状は打開する必要がありそうです。気候変動に対して日本のエネルギー基本計画は30年度の総電力の内、19%を石炭火力で賄うと想定しています。ただし、CO2排出を最低限にする高効率火力発電に切り替える計画です。しかし、30年に石炭火力をゼロにはできないのです。

COP26では現在も議論が継続されていますが、日本政府団が懸命に説明しても「日本は30年に石炭火力をやめない」というレッテルが張られ、環境保護団体の攻撃の的になっています。脱炭素に対しては、そんなことデマだという曲論から、すぐに取り組まないのは政治の怠慢だと激しく攻撃する集団までいろいろですし、それぞれの国ごとに事情があります。世界は総論賛成、各論合意には至らないという現状だと思います。

◎財源の裏づけのない政策は実効性は担保できないはず

「50年に温室効果ガスの排出実質ゼロ」宣言は、日本政府の国是であり議論を牽引してきた責任もありますので、達成できないと日本の信用失態につながります。問題は、どのように進めるかですが、技術的問題もさることながら政策実装のために必要な財源をどのように確保するかという現実問題があります。将来的にはCO2排出量に応じて国別に炭素税を新設し、それを原資に国際間で費用負担の公平化を追求しようと国際的枠組みが構築されることになるらしいのです。

負担できるかどうかという議論より、負担を強制しない限り問題解決できないというぎりぎりの選択をすることになります。かなりの困難が予想されますが、世界各国が共通の目標のため共同歩調をとるということが実現することは素晴らしいことではないかと思います。このような議論は非常に重要であるばかりか、政策によって得られる国際的なベネフィットと負担との関係を明示化し周知徹底し戦略的に展開する必要があります。何か医療費や介護費、年金や公的扶助などの所得再分配機能がある社会保障政策目標の達成と費用負担の議論と似たような議論展開になります。あまりにも明確なのは、財源の裏づけがなければ、何も実現しないという厳粛な原理です。

公債に依存して政策を展開してきた政府は、財政再建を目標に「成長なくして財政再建なし」などと掛け声をかけてきましたが、いつまでたってもプライマリーバランスを取ることができていません。次世代の負担となる国債などの発行は、すでに限界を超え今後とも発行し続けることは当然危険ですが、背に腹は代えられない的判断が黙認されています。

◎失われた30年以上という表現方法はありえない‼

CO2課題にも、国際関係における日本経済の地位低下に対しても、あるいは国際情勢、特に米中対立が局地的であれ紛争に発展する危険に対しても、わたしたちは厳しい状況に追い込まれています。失われた30年などとすねている場合ではないし、叡智とパワーを結集して難局に立ち向かう気概がまず必要なのではないでしょうか?精神論のようで不気味に感じるかもしれませんし、不安や不平をいい出したらきりがありませんが、76年間何とか平和を維持し飢えることなく過ごせてきたのですから、もう少し自信をもってもかまわないのではないでしょうか。そして、失われた40年などという表現は適切ではなく、もしこのままの状態を改善できなければ、いつしか「あてにされない国」という評価になってしまう恐れがあるということなのでしょう。矜持が傷つきますよ、本当に。

日本社会は、大きく分断されているわけでもないし、比較的均一性が高く、礼儀正しく清潔だと評価されているらしいのです。だからといって高度経済成長時代のような人口ボーナスがあり、明確な経済目標を定め突き進んでいるわけでもなく、超高齢社会で人口減少に歯止めがかからないまま、静かに沈んでいくような感覚に襲われます。

日本はホモジュニアスな社会なのですから、課題を明確にして大同小異を乗り越えて連帯して進む方法を必死に模索する必要があると思います。その前提は、国際的にみても安定的な社会保険方式を活用した社会保障制度が機能していることです。対立をあおるのも、同調圧力をかけるのもやめて連帯しましょう。

社会医療ニュース Vol.47 No.556 2021年11月15日