安全も水もタダではない時代にも関わらず社会保障制度の必要経費を抑制したいのか

フランス国旗が青・白・赤のトリコロールであることは誰でも知っています。この三色が自由、平等、友愛を表していることがフランス革命時に由来することも周知です。わたしたちは友愛ではなく「博愛」とならいましたが、フラタニティという言葉は「仲間」を意味し、慈善や慈善活動の意味もあります。

慈善は、ブルジョワ階級が貧民に施すというイメージが強いため博愛と訳されたと考えられます。調べてみると中江兆民や幸徳秋水は博愛と訳しているのです。しつこいですが、博愛は「己の欲せざる所は人に施すなかれ、常に自分にされたいと思う善事を他者に施すように釈迦や共同体への義務や奉仕すること」なのです。

フラタニティにこだわるのは、慈善事業から社会事業そして戦後の社会福祉事業へと発展した日本の歴史を意識しているからです。友愛という言葉も正確に説明できないのですが、戦前の友愛組合が現在の生活協同組合の原型であった歴史をつまびくと、時代とともに言葉やイメージは移り変わるものだと思います。

ちなみに西南戦争時に佐野常民が組織した「博愛社」がのちの日本赤十字社であることに思いをいたせば、博愛も友愛も慈善も仲間という心情をあらわす言葉として理解することができます。

自由、平等、友愛という標語は、これまでもこれからも人々を鼓舞し続けると思いますが、同時にこれらのことを世界中で確保するのは至難の業であるということも思い知らされています。

世界は分断され、人権は脅かされ、宗教や文化をふくめて対立の構図が広がっています。自分や家族だけの自由、平等、友愛をたとえ確保することができても、他者や遠い地域や国の人のそれを追求しないと安定はしませんよね。

米国社会における分断と中国の躍進そして米中の対立という構図は、日本はじめ各国の進路選択を強力に左右しています。わたしたちはこの現実から逃れるすべがないのです。

◎三色旗の意味を深く考えその価値をかみしめよう

かつてイザヤ・ペンダサンは「日本人とユダヤ人」で「日本人は安全と水を無料だと思っている」と書きましたが、現在の日本人で安全と水がタダだと思っている人はごく少数になっているのだと思います。日本人の好きな「安全神話」はとても高いものにつく恐れがありますし、安全保障には多額の国家予算が要求されています。安全を確保するためには相応の金銭的犠牲が伴うということは理解できます。きれいな水、これからは新鮮な空気さえもタダで手に入れることができなくなりそうです。

これと同じように自由、平等、友愛も無料ではなく、年々高くなっているのではないでしょうか。これらの状態を確保するには、それなりの税負担をするか、何らかの犠牲を支払わないとえられないものであるという理解が共有化されることが必要な時代なのではないでしょうか。

友愛を意味するフラタニティには、仲間という意味があると書きましたが、21世紀のそれを具現化しているのは、資本主義と民主主義を標榜している国では、紛れもなく社会保障なのではないでしょうか。そう理解できれば、21世紀の標語は「自由、平等そして社会保障」ということになりますよね。そう思い直して、それぞれの価値をかみしめましょう。

◎税投入で病院経営が好転する介護職の増は悪だというのか

日本の社会保障制度は制度としてはかなり緻密で、高齢、貧困、疾病、障碍、失業、保育、公衆衛生などの生命生活問題に幅広く対応していると思います。それでも、国際比較という見地からみると中福祉中負担で、けして高福祉高負担でも、低福祉低負担でもないといえるのです。今のこの国の選択肢として中福祉中負担が維持されているのは、それ以外が選択できない必然性があるとしかいいようがありません。中福祉中負担というのは、高福祉を望む人からも、低負担を求める人からも絶えず批判される運命だということも意味します。

ですから中福祉中負担に全員が賛成という状況はありえませんし、だからといって中福祉中負担を変更せよという世論が過半数に達する政治状況でもないことになります。こんなことを考えていると日本の社会保障は良くて70点悪くとも60点以上なのではないかと思います。つまり、及第点は獲得しているのです。

パンデミックで多額の国費が医療機関経営、特に、感染症に対応ないし対応準備した病院に流れました。その結果、一時的には病院経営は好転しました。これは必然ですが「病院のコロナ太りだ」などと揶揄されているらしいのです。パンデミックに対応するための政府の各種補助金に関しては、不正受給や政治家の仲介、現職国家公務員の詐欺事件までありましたが、かなり効果的であったことは率直に認めるべきです。

それにしても、なぜ病院の経営状態が補助金により好転したことが非難されるのか、理解できません。もっとおかしなことがあります。特養や老健施設の入所者対介護職員数が少なくなればなるほど介護費用は少なくなり負担は軽くなることは喜ばしいなどといいだす大新聞社が大手を振っているのです。

「自由、平等そして社会保障」は仲間を守るためにみんなで支えないと崩れてしまうものだという正論はどこにもないのでしょうか。

社会医療ニュースVol.48 No.558 2022年1月15日