自助・自立・自律とは自分みがきの言葉で他者に強要するものでない

ベンジャミン・フランクリン(1706-1790)はペンシルバニア議会代表となり、イギリスと植民地アメリカ間の交渉にあたり、独立宣言書を起草したメンバーである著名な起業家で文筆家です。彼が書いた“Heaven helps those who help themselves”という言葉を引用したのがサミュエル・スマイルズ(1812-1904)の『自助論』“Self-Help” 1859です。

この本を翻訳したのが中村正直(1832-1891)で、1848年江戸神田湯島の幕府直轄の教学機関「学問所」に入り儒学と英語を習った後、23歳で教授、30歳で幕府の御用儒者です。その後、イギリス留学をへて1868(明治元)年静岡学問所の教授となってこの本を訳し3年後に『西国立志編』という邦題で出版しました。冒頭のフランクリンの英文を「天ハ自ラ助クルモノ者ヲ助ク」と訳したのです。

どこかで聴いたことがあるのではないでしょうか。この本ですが公刊以降大正時代までに日本で100万部以上売れた翻訳本としての大ベストセラーです。現在でも各種出版社版が絶版にすることなく版を重ねていますし、新約本なども出版されています。

イギリスの著述家でありジャーナリストでもあったサミュエル・スマイルズは、エジンバラ大学を卒業して医師になりますが、どうした訳か政治家を目指し、その政治改革にも幻滅して結局、ビクトリア時代の著述家として大成功します。この“Self-Help”という本は英語のみならずフランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、アラビア語、トルコ語など多くの外国語に翻訳された、世界の大ベストセラーなのです。

スマイルズが説いているのはビクトリア時代のイギリス社会のジェントルマンの価値観である質素、倹約、浪費せず、借金もしないで貧しくとも礼儀正しく生きることが成功につながるという思考の重要性を成功者の生活歴や思考例からかみ砕いているように思えるのです。このような教えは江戸後期時代の多くの武士が身につけていた生活態度に相通じるように思えてなりません。

“Self-Help”を自助と訳したのは儒学者で英文学者の中村正直ですが、その意味は「自分に克つ」とか「自ら修養する」あるいは、自らの忍耐や努力で自らの自制心や慈悲の心を養い社会の役に立つ人になることではないかと思うのです。

大阪絢子「修養」の日本近代、(NHKBOOKS1274)2022.61頁にある「他者をあてにせず個を重視する個人主義でありながら、利己的でないなく道徳的に振る舞い、自分の将来だけでなく、社会全体のためになることをするという中村の儒学的な思想とスマイルズの考えは、ほとんど一致していた」という指摘はそのとおりだと思います。

◎自立自律自助を強要しない

自助の類似語のようなものに自立と自律があります。中学校高等学校で自立とか自律を校風に取り入れているところは少なくありません。自立とは「誰の手助けも借りず、自分一人の力でやっていくこと」で、自律は他からの手助けの有無は関係なく「自分で自分をコントロールすること」だと思います。この流れで考えると自助は「自分で自分を助けること」になります。では、誰かに助けられていると自助ではないのかとか、誰からかわからないが助けられていないと思えば自助なのかと考えはじめると簡単ではありません。

これらの言葉は奨励されたり、教育や研修の目標設定に活用されても問題がありませんが、何らかの権力というかパワーが伴う強要と受け取られると厄介です。「自立している人には助けはいらない」「何とか自分ですればいいんだ」「自分の努力が足りないのだから助けてもらえない」「助けてといわない人を助けることない」「もうだめだと思っても助けてといえない」などという話を聴いたことがあります。

2013年3月の「地域包括ケア研究会報告書」のなかで「自助・互助・共助・公助」からみた地域包括ケアシステムという表現がされました。ここでの「自助」は「自分の力で住み慣れた地域で暮らすために、市場サービスを自ら購入したり、自らの健康に注意を払い介護予防活動に取り組んだり、健康維持のために検診を受けたり、病気のおそれがある際には受診を行うといった、自発的に自身の生活課題を解決する力」だと説明されました。

当時のことですが「自助・互助・共助・公助」という言葉が、公的権力が「自助」を強要するのかとか、「公助」を削減しようとしているのではないかという憶測が飛び交い、介護保険の理念のひとつである「自立支援」も「自立」の強要というニュアンスを嗅ぎ取る人もいたのではないかと思います。

◎自ら助けられない事もある

自助とは、ひとりの個人が自らの意思で自らを助けようと努力することであって、他者が強要するものでないことは明らかです。一方「自己責任」という言葉もありますが、その範囲は国や地方によっても、仕組みによっても幅があります。インフルエンザは全て自己責任とはいえないし、誰の助けも求めず我慢していることを強制するものではないはずです。戦争、災害、火事、交通事故、花粉症を自ら努力だけで解決しろという人は少ないはずなのです。

「自立」、他人の助けが必要でなくなることではなく、いざとなったら「助けて」と声を上げれば、誰かがすぐに駆け付けてくれるようなネットワークが編めているということ。

「安心」は、具体的なだれかをあてにできる、いざとなれば頼れる人がまわりにいるということ。「あてにできる」人たちに二重三重に取り巻かれているなかで落ち着きを得られていることが「安心」。

以上は鷲田清一『濃霧の中の方向感覚』晶文社、2019の91-92頁からの抜粋で、兵庫県立大学経営専門職専攻客員教授である浜村明徳先生(小倉リハビリテーション病院名誉院長)が毎年大学院生に講義いただく資料に必ず引用される文章です。浜村先生は「自立とは困ったら、誰かがすぐに駆け付けてくれるような地域とのつながりがある中で、自らの持てる能力を生かしながら、可能性や選択したことにチャレンジし、自分らしく過ごしている状態」と説かれています。

自立は「助けて」といえば誰かがすぐ駆け付けてくれる状態だとすれば、自助はあくまでも「自分らしい状態」なのかもしれないとお聴きするたびに考えるようになり「フランクリン自伝」や「自助論」、新渡戸稲造や松下幸之助の著作を再読してきました。

大阪絢子「修養」の日本近代には「自分磨きの150年をたどる」という副題があります。大阪さんのこの本は「明治以来の日本の修養の系譜を正確に記述した貴重な研究成果」だと私は考えますし、特に医療や介護、保育や福祉の現場で働く女性の管理職の方々に是非お勧めしたいと思います。なぜならば、大げさにいえばこの本は「明治以降の男がどう生きてきたか?何を根拠にふんぞり返ってきたのか?」という疑問に答えているのではないかと思えるからです。

大きな書店の経営とかビジネス関連部門には、必ず「自己啓発」というコーナーがありますが、どのような目的で、何が、どのようなことが書かれていて、今、なぜこの本なのかとか、この本が修養や自己啓発のジャンルのどこにあるのかということが理解できずに困った時期があります。なんでもかんでも読み漁るのも楽しいのですが「成功の法則」とか「絶対成功する方法」なんてポップをみると、「そんなことあるわけないだろー」なんてつぶやいています。

◎自分みがきに努力しよう

ICTだとかDXだとかいわれ世界は大きく変革しています。変化に取り残された人や地方や国は置いてきぼりにされ放題です。いろいろな国が経済発展して豊かな暮らしができることは、最終的には戦争が起きる可能性を低下させることにつながるはずです。今、カーボン・ニュートラルだとかグリーン・トランスフォーメーションといわれる脱炭素からの転換は無視できなくなってきています。化石燃料を無尽蔵に使うわけにはいきませんので生活の方法も変更しなければならなくなるのでしょう。これらの革新には、新しい技術革新が必要で、もし乗り遅れると悲惨な状況になるのかもしれないのです。

社会医療ニュースVol.49 No.573 2023年4月15日